熱帯夜

女として女に愛され愛したい

【読書感想】『82年生まれ、キム・ジヨン』チョ・ナムジュ 著/斎藤 真理子 訳

こんにちは。mira(@mirara_l)です。

相変わらず勉強も続けていますが、ひとまず一区切りついたので、久しぶりに読書の時間をたっぷりとることができています。先日、パートナーと出かけたときに、雑誌を買うついでに手にした本がこちらの2冊。

韓国の文学が話題になり、書店でよく見かけるようになってから、ずっと気になっていたのに、なかなかタイミングが合わず。ようやく読むことができました。このタイミングで読むことができて本当によかった。

もともと私は、このはてなブログやTwitterで、レズビアンとしての生きづらさに嘆いたり、怒ったり、悲しんだり。一人ではどうにもならない理不尽さや不平等さに対して、気持ちの整理をするべく文章にすることが多い女です。マイノリティは違和感に気付いたら、社会がそれを望むからと飲み込むのではなく、「生きづらい!」と声を上げてもいいんだ……と、最近になってようやく思うことができて。幸いなことに、共感してくださったり、マイノリティが直面する困難を初めて知ってくれたりする方が多くて、SNSにはかなり救われています。

あまりにもレズビアンであること、同性愛者であることの生きづらさが先行してしまい、「女性」であるという生きづらさを後回しにしてしまっていた(=ここを正面から見てしまうと、本当に絶望してしまって、この社会では生きていかれなくなるようで怖かった)。そんなことに気付かされました。

このタイミングで読んで良かった理由は、この本が出版されたときのキム・ジヨンと私が大体同じぐらいの年齢で、幼い頃からの描写があまりにも自分と同じで、これを読んだほとんどの女性が言うように、より強く「自分の物語だ」と思うことができたこと。読んでいて苦しかったけれど、これから先も戦わなければ、声を上げ続けなければならないと、強く前向きな気持ちをもつことができたこと。日本ではない場所でも、同じ生きづらさを抱えて頑張り続けている女性が生きていてくれる、ということを知れたこと。

もっと具体的なところでは、性の商品化、女性の働き方、家父長的な慣習の名残、女性嫌悪(ミソジニー)、女性を狙った憎悪犯罪(ヘイトクライム)、フェミサイド、入試での女性差別など、流れ着くニュースを目にしては暗い気持ちになる現代社会の問題が盛り込まれていて、その酷さを改めて知ることができたこと。だってどれも全部、女性である私自身を取り巻く現実なのだから。

いつだって私たちはキム・ジヨンなのだし、キム・ウニョンなのだし、オ・ミスクとしてもコ・スンブンとしても、チョン・スヒョン、キム・ウンシルとしても生きていた。そしてこれから先も、生きていかなければならないんだな。

この物語を読んだ最後のお楽しみの『解説――今、韓国の男女関係は緊張状態にある?』で、伊東順子氏が書いた文章の中にある、

先進的な制度改革に、国民の意識と社会の構造が追いついていかない。

は、まさしくこれからの日本の課題でもあると思う。恥ずかしながら、韓国で1990年代の終わりに戸主制度に関する本格的な議論が始まって、2008年には戸主制度が廃止されたことを知りませんでした、私。それでもまだ、子どもの名字を父親の名字と一緒にする人が多いんですって。必ずしもそうする必要がないのに、"国民の意識と社会の構造"のせいで、令和になった今でも学校に提出する子どもの書類には父親の名前を書く家庭が大半である日本のようだと思いました。

マイノリティへの攻撃。例えば「権利を主張し過ぎるな」「誰だって我慢しているんだ」「レディースデーや女性専用車両があるならメンズデーや男性専用車両も作れ」「差別をすること自体も自由であれ(なんて暴力的なんでしょう……)」など、こういうものに対して絶望せずにどう戦っていけばいいのか、正直分からない。

分からないけれど、女性であり、同性愛者であるなら、とにかく今は声を上げ続けること。考え続けること。それをやめないことなのかな、と思った。

この本は、一緒に生きてきた大切な妹にもプレゼントしようと決めた。私は子育てをしていないけれど、子育てを自分の人生と引き換えにする必要は本来ないのだと、そんな事実を知って欲しいから。女性という仲間なのだと知ってほしいから。

この本をとても読みやすく、丁寧に訳してくださった、訳者の斎藤 真理子さんにも感謝。この本を日本でも読めるようにしてくださった全ての方に、感謝です。久しぶりに、読書に没入できました。