熱帯夜

女として女に愛され愛したい

【読書感想】『推し、燃ゆ』宇佐美りん 著

この物語は、まるで自分の話だと思ったし、全く自分には関係ない話だとも思った。つまり、いつでもこうなる可能性があったし、これから先もこうなる可能性があるに違いないということ。

私にも推しがいるし、推しを推すこの人生が幸せだけれど、いつでもこんな風になる準備が出来ているから、踏みとどまっているのかもしれない。

自分のオタク活動は『適度』だと思う。グッズが出されれば、いちいちそれらに反応して、騒いで歓喜して、もちろん買って(でも絶対に必要ないという分までを買いすぎることはない)自分の生活の中に上手に落とし込む。祭壇は、あえて作らない。推しがいなくなったときに悲しいから。

推しや推しの周りのことを創作物として楽しむ。推しが自分と同じ一般人であることなんて最初から分かっている。だからネット上では、ほとんど素性を明かさずに、すでに完成された創作物として活動してくれていることに感謝している。

人はどれほど近しい人であっても、自分が心から想うものを理解してもらうのは無理だと分かっているとき、あかりちゃんみたいな生き方になるのかもしれない。それは多分推しに限った話ではなく、私の場合は、大好きだったおじいちゃんが死んだときも、妹の結婚式のときも周りの人とは違うレズビアンだったし、それこそ生まれたときから同性愛者であるというアイデンティティから逃げられずにいた。そんなとき、いつも頭の中で小説やエッセイを書くみたいにして考えを巡らせて、自分の気持ちと静かに向き合っていたような気がする。そんな過去を思い出すような物語だった。

この時代だからこそ楽しめた作品。自分に推しがいない人は、この愛すべき物語を読んで、どんな感想を持ったのだろう。聞きたいな。

推し、燃ゆ

推し、燃ゆ

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