熱帯夜

女として女に愛され愛したい

父親にしかできないことなんて、きっと無い

友人が鞄につけていたバッジ
(掲載の許可をいただいています)

今年の夏にあった出来事について

「本当は娘として家に迎えてやりたい。ただ俺にはその勇気がない。申し訳ない。あの田舎で、それをしてやれる勇気が、どうしてもない」



私の父はレズビアンの娘をもったことで、家父長制の洗脳から少しずつ解放されつつあるのだと思う。

こんな日を想像していなかったから夢みたいで、本当にあったことだったかどうかも分からないぐらいに胸がいっぱいになった出来事だったから、文章にして世間に出すのに時間がかかってしまいました。

今年の夏は、いろんなことがありました。感じることや考えることが多すぎて、脳がオーバーヒートしそうな夏だった。あっと言う間にそんな夏が過ぎ、気付けばツクツクボウシが鳴き始め、愛犬との散歩中に秋の虫の音色に気付く頃、毎年この時季には必ずといっていいほど随筆したい気持ちが大きくなります。

だからこのことを書いて、みなさんに私の夏の出来事をゆっくり知らせようと思いました。私のパパがどれだけ最高で、かわいそうで、愛情がある人なのかということを。自慢のパパを知ってほしいと思って。

親族の結婚式への参列を余儀なくされた

二度と出たくないと決意した結婚式に、参列をしなくてはいけなくなりました。親族の結婚式からは逃げることが許されなかった。

最初は断固拒否していたのですが、私の良き理解者である妹とパートナーからの同時説得があり、ひとしきり号泣して喚き散らかした後、渋々ですが参列を決めました。二人ともが、私がどれほど結婚式に苦手意識を持っているかを知ってくれているし、両親や親族との関係性を冷静に見極めてくれていることにも気付いていたから仕方なく。頑固で感情的な姉、及びパートナーですまんな……。

(そこで大切な妹に「こんなに嫌な思いをしたのに、私の結婚式に来させてごめんね」って言わせた社会のこと、心の底から呪ってるよ……)

妹には子どもがいて、まだ手のかかる年齢だから、面倒を見ることを口実にできるだけ現実を見ないようにして頑張ろうという話になりました。ていうか、なんで私側が頑張らないといけないのかが理解できないけれどね? なんでっすか?(頑固うるさ)

直視できるわけがない結婚式

結局、楽しかったのは妹たちと一緒におめかしをしてヘアセットをしているときまで。

あとはもう地獄、地獄、地獄。どうしてここにいる人たちは、こんな風に楽しそうに笑ってんの? 異性を好きになるっていう理由だけで堂々と「婚姻」ができるのなんで? それだけでなく集まってくれた大切な人たちに、「この人がパートナーです。これからの人生、この人と一緒に歩みます。応援してください」って何もかもを伝えることができる「式」までできてしまうんだ? なんで? なんで私はできないの?

予想していた通り投げやりな気持ちになって、式のほとんどの時間をお酒と共にロビーで過ごしました。不平等な社会に対して、一人で怒って絶望しているような、寂しい気持ちに耐えられなくなってしまって。

ベビーカーの中で眠たそうにする甥っ子をあやしながら、私の気持ちと同じような暗い色をした外をひたすら眺める時間。中から聞こえてくる楽しそうな声と音楽と拍手は、私を一層ひとりぼっちにさせました。

窓ガラスに映るのは、左手の薬指に指輪をしていても、こんな風に世間に公表したりお祝いをされたりする権利がない女の人の姿。……私です。来たくなかったのに、頑張ってここまで来てえらいね、お酒を飲むことでなんとか凌いでおりこうだねぇ。



「……ここにおったんか」



外が暗過ぎて室内の光が反射するガラス越しに、こちらに向かって歩いてくる人影。かけられた声に振り向くと、私のパパでした。娘が会場から逃げていることに気付いていたのかな。

私がパパにカミングアウトをしたのは、六年前。ちょうどパートナーと一緒に暮らす決心をした頃。パパの性格はとても神経質で、真面目で、人の目や世間の目を気にするタイプ。それらは当然、ホモフォビアや差別的な発言に繋がっていて。日本の悪しき社会規範を刷り込まれている、典型的な人とでもいいますか。そこに遺伝子レベルでの性格も相まって、私が同性愛者であることをカミングアウトなんてしたら正直、命を絶ってしまうんじゃないかしらと心配していたような人。

当時のことは辛すぎてブログには書いていないです。自分が同性愛者であることは墓場まで持っていこうと思っていたものの、私が好きな人と一生暮らしていく覚悟をしたことをどうしても伝えたくて、急なカミングアウトでパパをパニックに陥らせてしまった。そして案の定、差別発言のシャワーを浴びせられた。

それでもパパが死なない限り私はあなたの娘であり続けるし、彼女と出会えたことが私の一番の幸せだから、育ててくれてありがとうという思いで「パパとママのような関係になりたいと思っている」という内容の手紙を書いて、家を出ました。

あれから六年経って、パパの中で私が同性愛者であり、すでに同性パートナーがいることはなかったことにされているような日々が続きました。家族全員にカミングアウトしていたから、会話の中でなんとなくパートナーの名前を出してみるものの、会話に入ってくるわけがなく、いつもだんまり無視。私が娘であることには変わりないけれど、女として女を好きになる部分だけを見て見ぬフリしているようでした。

そんなパパ相手だったけれど我慢できず、今日は弱音を吐きたかった。見て見ぬフリをしていたって、あのときはっきりと私は同性愛者だよ、と伝えた父親に。



「結婚式はイヤ。いいなぁ、結婚したい」



このとき言葉にできる、精一杯の今の気持ちだった。別に、いつもみたいにこの呟きを無視されてもいい。「いつかいい男が現れる」とか「早く嫁にいって安心させてくれ」とか、例えそういう傷付く種類の言葉をかけられても、それでもよかった。

だってあのときカミングアウトした事実はあり続けるし、なんと言われようが私がレズビアンであるという現実も消せるわけじゃないし、それにもうホモフォビアを持ち続ける人と戦う気持ちすらなかったし。一線を引いて生きていく覚悟をしたのに。



「……そんなこと言うな。これは ”義理” だでな。……でもま、こればっかりが人生じゃない」



もう十分に傷付いている私をこれ以上傷付けないように、選ぶようにしてぽつりぽつりと紡がれる言葉。少し困って、微笑んでいるような低い声。カミングアウトしてから一貫して避けられていた話題だったのに、こんなにも真正面から切り込んでくれて、びっくりした。びっくりの次に、うれしさが来て。

このときは湧いてくる感情を咀嚼して飲み込むのに必死でした。色んな感情が次々と溢れ出て、子どもみたいにわんわん泣きたかったけれど、そういえば私はもう大人だったから我慢をしました。でも、パパがその場から静かにいなくなってから少しだけ泣いた。

父が私にずっと伝えたかったこと

感情の処理が追いつかなくてその場を動けず、それ以降は会場の中にも入れなくなってしまいました。こんなに可愛いドレスを着て着飾っているのに何も楽しくない、というささくれた気持ちよりも、パートナーが同性という理由で結婚ができない理不尽さに傷付いていることをパパが知っていてくれている、という安心感に浸りたかったのかもしれません。

ベビーカーを揺らしていることで甥っ子が夢の中に行ってしまった頃、さっきよりもアルコールが回った顔で再びパパが隣にやってきました。

会場の幸せそうな雰囲気を纏って照れたみたいに笑ってた。いま思えばヘラヘラしていたけれど、言いたいことを言いにきたぞ、というような覚悟が滲み出ていたような気がする。会場の幸せなお祭りムードと、私の暗い気持ちの両方を知っている、この場での架け橋みたいな存在のパパがまたそばに来て、時に涙を浮かべながら語ってくれたのは。

自分が過去、精神的に参って仕事に行けなかったときに娘たちが前を向いて生きる姿に励まされていたこと、私が長女だからって、父親らしくしなければという強迫観念から幼い頃に厳しく育てすぎたと後悔していること、家を出てから喫茶店で偶然会ったときにパートナーが挨拶に来てくれて嬉しかったのに照れて何も返せなかったこと、自分自身の思いとしては(パートナーと私が)二人揃っていつでも実家に帰ってきていいと思っていること。

…………あのパパがこういう考えになるまでに、六年もかかったんだなぁ。でも逆に考えれば、たったの六年かぁ。たった六年で、父親としての自分の気持ちを咀嚼して、同性愛者だった娘を受け入れる準備をしようとしているのは、やっぱり社会の方も変わってきたからなのかもしれないですね。

今でも正直なところ、私が男性と結婚する未来を少しだけ信じている部分があるのかもしれない。でも同性愛者だからという理由だけでしたい結婚ができない娘が思わず溢した弱音に対して、「幸せのゴールは結婚じゃない」と言ってくれたんだよね。女性と結婚したいという私の気持ちも受け止めた上で、今の社会で言える親からの最大の慰めの言葉だと思っている。

「本当は(パートナーを)娘として家に迎えてやりたい。ただ俺にはその勇気がない。申し訳ない。あの田舎で、それをしてやれる勇気が、どうしてもない」

まるで神様に今までのことを懺悔をするように声を震わせて泣きながら話すパパの姿に、涙が止まりませんでした。この糞社会が彼をこんな風に泣かせていると思うと苦しくて悔しくて。

娘が人生の伴侶を見つけたということをカミングアウトをしただけなのに、こんな風に自分を責めるようなことを思わせてしまう社会が悪いんだと、私も泣きながら、何度も何度もパパに伝えました。



この夏、仲間のひとりが自死を選びました。
そのときこの社会にまだ生きている方として、手紙のような文章を捧げました。

りゅうちぇるへ - 熱帯夜

 

その中で、

 

りゅうちぇるの報道を見ているはずの、私がカミングアウトをした誰からも、連絡は来なかった。「大丈夫?」「あなたはあなたのままでいいよ」そんな風に言ってくれる人は、私の周りにもいなかった。りゅうちぇると同じようにいつでも死が隣にあることを、家族も友人も誰も知らないみたいだった。彼らは私が死んでから、なんと言うんだろう。

 

こんな気持ちになったことを、それはもう鮮明に、昨日のことのように思い出します。パパは私の隣で大粒の涙を流しながら、こんなことも言ってくれました。



「そのままでいい」
「お前が、元気に生きて、とにかく生きていてくれたら、そんなに幸せなことはない」



りゅうちぇるがこの世から姿を消した報道ばかりされていたとき、もしかしてこの人は薄々感じていてくれたのかもしれない。自分の娘も同じように、死と隣り合わせであることについて。恐怖を感じてくれていたのかもしれない。私が姿を消す前に、生きているうちに伝えてくれてありがとう。

家父長制をぶっつぶせ

自分の娘がこの社会で命を保つことすら酷な事態にあると気付いたとき、ただ娘が娘らしく生きていてくれればいいという、自分の中にある最大の愛情に気付いてくれたんだね。きっと今の私の年齢と同じ頃に、逃げられない社会構造に沈められて必死で生きてきたんだね。「この家の主人は俺だ、だから強くいないと」「人様に嫁がせても恥ずかしくない女を育て上げないと」って。言い聞かせてきたんだね、自分に。

社会に静かに身を潜めて、一秒一秒誰かを呪っている家父長制の洗脳に気付かない人たちが多くいるここ日本で、自分とパートナーが生み出した女の子が女の人になって、女の人を好きになる性的指向を受け入れること、どれだけ大変なことだっただろう。

この社会で男として、父親として、強くあらねばならないというプレッシャーに押し潰されそうになりながら生きてきたパパにとって、同性愛者の娘に対して「そのままでいい」と言うことが、どれだけ大変なことだっただろう。大変だったけれど、涙を見せてでも、急に自分の前からいなくなってしまうかもしれない娘に伝えなければ、と思ってくれたんだね。

もう強くあろうとしなくてもいいんだよ、って伝えたかったのに、次々に溢れ出る涙と嗚咽のせいで、上手に伝えられなかった。あのね、多分だけど、男である父親にしかできないことなんて、きっと無いんだよ。あなたは父親である以前に、私の親なんだよ。子どもは親が味方でいてくれるだけで自分の力で「生きよう」「前に進もう」と思えるんだよ。

あんなに泣いたことは、久しぶりだった。
あなたの愛情を、信じていてよかった。

こういう思いを自分の子どもにさせてあげられないことが、人生において唯一の心残りだけれど。でも、そういう思いを抱くかどうかなんて受け取る子ども側の話だし。そもそも私の子は、私じゃないしね。




パパ、私に人を愛することができる命をくれて、ありがとうね。大好きだよ。