熱帯夜

女として女に愛され愛したい

りゅうちぇるへ

りゅうちぇるが死んだ。昨日、りゅうちぇるが自殺した。目の前が真っ暗になった。お酒を飲みながら、パートナーと一緒に好きな実況者の動画を観ていた。「えっ!?」スマホを触っていたパートナーの愕然とした顔と、口元を押さえながら「りゅうちぇるが……」という小さな言葉で全てを悟ってしまった。悟ってしまうような状況下でりゅうちぇるが生きていたことを私はもちろん、多分、みんな知っていた。

最初にやってきたのは足元の床が抜け落ちたような心許なさ、仲間が自死を選んだことの悲しみ、そしてこの社会への怒り。その日は何を呟いたかあまり覚えていないけれど、とにかく色んな感情をビールで流し込んだ。こんなことを思いながら。

 

一晩経って、朝起きて一番最初に思ったのは、これ。

 

りゅうちぇるが、もういない世界であるということ。今まで自死を選んだ芸能人だけでなく、誰かの死を報道されれば毎回、心を痛めた。芸能人の命にランクづけをしているわけではない。私にとってりゅうちぇるは、仲間だった。だから仲間が一人、自分で自分を殺めたという事実は、他の誰かが死んでしまったときよりも、重くのしかかった。

りゅうちぇるの報道を見ているはずの、私がカミングアウトをした誰からも、連絡は来なかった。「大丈夫?」「あなたはあなたのままでいいよ」そんな風に言ってくれる人は、私の周りにもいなかった。りゅうちぇると同じようにいつでも死が隣にあることを、家族も友人も誰も知らないみたいだった。彼らは私が死んでから、なんと言うんだろう。

今日一日、本当にとても暗い気持ちだった。全てのことに苛ついて、表情が上手く作れなかった。一刻も早く帰りたかった。子どもの体温に命を感じて、その温かさに縋るような気持ちだった。

ここだけの話、本当にここだけの話、あんなに話題にされることが嫌だったのに、まるで何事もなかったかのように明るく楽しそうに笑っている全ての人を殺そうかと思ってしまった。それか、私自身を。

あまりにも酷い結末。いや、これは結末なんかじゃない。クソ社会はこのままずっと続いていく。終わらない。終わりがない。社会が誰かをこうして何人殺したとしても、きっと変わろうとしないんだろう。だって、LGBTQI+なんていない方がいいって思う人たちばかりで構成された社会なんだから。

国は異性同士以外の結婚を頑なに拒否しているし、違う名字を選択して一緒に生きていきたいふうふたちの望みを断固反対しているし、「どのような差別もしてはならない」と、きっぱり表現することもできない。岸田首相は「同性愛者が隣に住んでいたら嫌だ、顔も見たくない」というヘイトを撒き散らす最低野郎を、またあっさり役職に戻している。

私たちを守ってくれるのは、誰なんだろう。ね、守ってくれなかったね、りゅうちぇる。思うことが多すぎて、こうしてりゅうちぇるに向けたブログを書いていても、上手くまとまらないや。もうどんな声も届かないことだけが事実なんだよね。寂しいよ。悔しいよ。あなたは大切に尊重されるべき存在だったのに。

性的マイノリティの自殺率が高いことを、自ら社会に証明してあげたの? ヘイトや差別が溢れる世の中に? ねぇりゅうちぇる、さすがにそれは優しすぎ。なぜ愛ある世界を望む心を持った人がこんなクソ社会の犠牲にならなければならないの? 私たちが生きている意味ってなに? 確かに私にも分からないよ、りゅうちぇる。あなたが選んだ死の道は多分正しいよって、また結局こんな風に寄り添うことしかできなくて、ごめん。本当にごめん。ごめんね。ごめん。あなたの気持ちだけが、正解だったんだと思う。あなたにとって。

 

 

どうやって生きていこうね。
こんな社会でね。