熱帯夜

女として女に愛され愛したい

出会って15年、一緒に暮らして4年になる、大切なパートナーの話

あまりに愛おしかったので、久しぶりに文章にしたためることにした。

夏になると、「これまでの繁忙期のことなどキレイさっぱり忘れろ」言わんとばかりに、比較的自由に有給が取れる期間がやってくる。現在の職に就いてからというもの、過言ではなくこの時期のために働いているのだと思っている。

自分のやりたいことや趣味を楽しむことを、一日の中で体力のあるうちにできるというのは、本当に幸せなこと。帰ってきてヘトヘトで、明日の早起きのことで余裕なく頭の中が焦りでいっぱいになって、それだけでさらに疲労が溜まり、気絶するように眠る毎日からの解放。

だからといって、逆にこれから繁忙期に突入するパートナーを車に乗せて、いろんな場所へ連れ回してしまうのは、私の悪い癖だ。それも夜中に。

遠距離恋愛を経て、4年前、関東から私の暮らす地方へ引っ越してきてくれた。私は女性で、彼女も女性で同性同士だけれど、この関係から文字に表すと、正真正銘「嫁いで」きてくれた。(ちなみに日本のいまの政治のせいで信じられないことに、いまだに私たちは「結婚」できていない)

私は未だかつて一人暮らしというものを経験したことがなく、彼女と暮らすまでは実家で暮らしていた。当時から、平日でも構わず一人でふらふらと夜中に出掛けることが大好きで、煌々と明るい本屋さんへ行ったり、ファミレスの角の席に座って文章を書いたり、お風呂に行ったり、目的なく車を走らせたりしていた。

そういうときは決まって彼女と電話を繋いでいて、「あなたが今、隣にいてくれればいいのに」が口癖だった。私にとって彼女と時間を共有することは、一人のときぐらい気楽で楽しいものだということを、既にその頃から知っていた。

電話越しに聞こえる、コロコロとした笑い声、と思えばびっくりするほど適当な相槌。時にむくれていたり、時に泣いていたり、時にはしゃいでいたり。電話だけで繋がっているのに、でも電話だけで隣にいるみたいで、とにかくあと必要なのは、あなたの体温だけだった。

いまこうして車を走らせている隣で、あなたはすやすやと眠っている。とても可愛い寝顔。ずっと憧れた光景だった。私が夜中に出掛けることが好きだから、夏休みが好きだから、新しく買ったキーボードで文章を書くことが好きだから、そういうことを一つひとつちゃんと知っているから、仕事で疲れていて眠たいはずなのに、私の誘いを決して断らない。「いいよ、どこに行く?」と聞いてくれる優しい人。

真夜中のドライブにぴったりの静かなBGMを流している車の中で、反対車線の車がすれ違うライトに、あなたの寝顔が明るく照らされる。その度に噛み締めた。私の隣に、あなたがいることの奇跡。同じ家に帰りたいと何度も何度も願った現実の方へ、いつの間にか来てしまっていた。

時折、こんな風に確認作業をする。愛しい人との現実を証明するものが、私たちには何もないから。プロポーズも、婚約指輪も、結婚指輪も、婚姻届も、結婚式も、同じ名字も、子どもも、何もないから。堕胎も、離婚も、私たちにはないから。

ただここにあるのは、生きているあなたと、私。

もっと若かった頃は、「愛だけを頼りに生きていく」なんてそんな、ドラマの中で聞くようなロマンチックな台詞は、自分には関係のないものだと思っていた。これが社会に存在をNOと言われているからこそ出る、唾と一緒に吐き出したいぐらいに最悪な、クソみたいな捨て台詞だということも知らなかった。

私の運転で眠るパートナーの顔を見ながら、なんだか急に泣きたくなった。今日は、どこにも行かずに今すぐに引き返そう。おうちに帰って、この子が大好きなベッドで寝かせてあげたい。なんで連れてきちゃったんだろう。なんでこの人の優しさにいつも甘えてしまうんだろう。とにかく今日は帰って、三人で眠ろう。

私には女性のパートナーがいて、その人のことを愛している。大切な家族だ。娘のように可愛がっている、二人の宝物も存在する。飼ってる犬、じゃなくて、二人で育てている、いのち。

私の現実を誰も知らない世界に、また明日も元気な顔で「おはよう」と言わないといけないと思うと、なんだかもう眠るのも億劫だ。でもまた明日もきっとあなたに会えるから、眠る。