熱帯夜

女として女に愛され愛したい

カミングアウトから10年が経った今なお社会に傷つけられそうだった、異性愛者の友人と、同性愛者の私の話。

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私はこういうブログを書いているから、「異性愛者」や「同性愛者」という大きな括りで話すことが多い。それが、今回の事態を招いてしまった。

カミングアウトは、ときに私の性的指向を受け入れて欲しかった人を傷つけることにつながる。それは、自分の娘や息子が同性愛者だったというショックとか、そういうのではなくて。私が記事に書いているような、こういうこと。

 

sultrynight.hatenablog.com

 

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自分たちが一緒に生きていくと決めた1度しかない人生をお祝いしてもらいたい人がいる。これは十分理解できる。私だって同じだから。それが同性同士か異性同士かという違いで、ハードモードなのかイージーモードなのかが決まるということに平等さを見出せないという気持ちを持っています。今でも。だから、自然と卑屈な、誰かをターゲットにしたような言い方になってしまう。

「じゃああなたたちは、なぜ結婚しようとするの?」
「じゃああなたたちも、籍を入れずに結婚式をあげるだけでいいじゃない」
「だって一緒にいられるだけで幸せなんでしょう?」

言い訳になるのかもしれないけれど、私はこういったメッセージをどこの誰というのではなく、社会に投げかけているつもりでした。だって社会というのは、隣にいる誰かと誰かとの繋がりの塊であるはずだから。

でもそれは、ときに私のことを大切に思ってくれている人を苦しめるんです。なんの気無しにそういう発言をする人たちだけでなく、心から私たちの権利の無さを悲しがってくれている人。そういう人たちを不安にさせたり、傷つかせたりしてしまう。カミングアウトって、やっぱりときに大事な人を傷つけてしまうことにつながる。

当事者はそれを分かっているから、だから大切に思う人にこそカミングアウトってしづらいんだと思います。いつか自分との違いに気がついて、なんともできないことに不甲斐なさや無力感を感じさせてしまうのでは。まさしく、最近長年の付き合いのある友人にそれを感じさせてしまったのでした。

でも、そんなときにこそちゃんと説明しようと思って覚悟を決めた10年前のカミングアウトだった。それ以上に、本当の自分を隠している方が辛かった。だから今回は勇気を振り絞って腹を割って話しました。結婚や妊娠を報告したいという気持ちは純粋に嬉しいです。でも、そこに不平等さを感じさせてしまう世の中がおかしいよね、という話をしました。ネット上での私の発言やコメントが、自分に言われているようで辛かったそうです。

同性愛者である私が手を伸ばしても届かない場所に自分が急にたどり着いてしまうと、その不平等さがありありと分かるようになって、とても辛くなったんだって。……なんて素敵なアライなんでしょうね。カミングアウトした人が、私を大切だと思ってくれて、それ故に離れようか離れまいか悩んでくれている。少数者に寄り添って考えることができる、最高のアライでしょ。誇らしいです。

やっぱりこんな社会で立場的に弱い人は、結局人の優しさに救われるんだよね。特に近しい人の愛情に。そんなやりとりが増えれば、社会が変わっていくと思っている。大切な人との絆こそが、社会を変えていくものだと。

カミングアウトしなければ、どこかにいるかもしれない自分には関係のない出来事として終わってしまう。でも隣の誰かの話だったと知ったとき、その人の考えが変わる。変わるぐらい、常に人間関係を大切にして、誠実に生きていようと思っている。

でも、カミングアウトをすることが絶対的な正解かと言われれば決してそうじゃない。ただ私は自分たちが経験したような悲しい思いを未来の仲間に伝えたくない。同性愛者にもハッピーで幸せな、でも時にアンラッキーで不幸な、普通の人生が待っていることを、自分のカミングアウトで変えていければ、と微力ながら思っている。

いつか、ウエディングドレスを着てみたい。ただの紙切れだとしても、婚姻届というものにサインをしてみたい。ヒトのいのちを、2人で愛してみたい。そしてそのいのちが社会に羽ばたいていく姿をみてみたい。いろんな夢がある。普通に。

どれだけ叶えられるかは分からないけれど、どれも叶えられないかもしれないけど、私には大切なパートナーがいて、大切な家族がいて、そして大切な友だちがいる。その事実はもう手に入っているんだな。ありがとう。私を愛してくれる全ての人に感謝!!!