熱帯夜

女として女に愛され愛したい

私たちは傷つきました

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いま、愛するパートナーとトリスハイボールで乾杯したところ。世の中は(といっても自分の関心が高いニュースにしか目がいっていない訳だけれど、でもこれからの日本にとって、とても重要なニュースだと思っている)、例の国会議員の「LGBTには生産性がない」発言が大炎上し、自民党本部前にはプライドとレインボーで繋がった仲間が集まり、デモをしている。

 

ずっとずっと、モヤモヤしていた。Twitterにまとめられているモーメントを見て、このモヤモヤや傷つきは隠さなくてもいいんだと勇気付けられた。レインボーの旗がたくさん。私でも理解できることについて、みんなが一緒になって怒っている。正常だ。よかった。私は異常じゃない、大丈夫だ。

 

私が私にかけた呪縛の正体

 

このモヤモヤと戦っていた数日間、私が私自身に「生産性がない」という呪文をかけて、煙草を吸い始めた大学生の頃のことを思い出していた。二十歳を過ぎて、日本にLGBTという言葉が出始める数年前に自分がレズビアンであると気付いたとき、最初に思ったのはコレだった。「ああ、子どもが産めないのか」。「この子宮は、飾りだったのか」。いま思えば地獄でしか聞けないような呪文をかけて、煙草に手を出した。子孫を残せない自分に健康に生きる価値はない、と思った。子宮を壊してしまおうと、それが最初のきっかけだった。

 

私の数日間のモヤモヤは多分、これらの呪文を私にかけたのが私ではなくて、こういう人たちからだったのだと気付いたから。そうしたら急に怒りがこみ上げてきて、過去の私に誰が謝ればいいのか分からなくなった。私はパートナーと出会い、今の仕事に就くことで、煙草をやめることができた。あなたのままでいいと認めてくれる人の存在は、なんて大きいんだろう。家族にもカミングアウトをして、煙草を吸ってしまったことでショックを受けさせた過去を、いまようやく取り戻している。健康な身体で、健康に笑って、よきパートナーと人生を歩むこと、それが自分にとっても周りにとっても幸せなことなんだと、そう気付くのにこんなにも長い間かかったのは、あの人みたいな考えが固まった呪縛にずっとずっと囚われていたから。

 

もう、いい加減解き放ってあげたい。いまは2018年。前に前に進んでいかないといけない。見て見ぬフリをしてきた性的少数者への差別とも、きちんと声を上げて戦わなくてはいけない年。

 

 

この人の肉声が聞こえる動画は怖すぎてまだ見れていません。周りの人が差別的発言に同調するように笑っているって、本当?過去に2チャンネルとかまとめサイトで見たなあ、という言葉ばかりだ。それを見てはいちいち傷ついていた。いまこうして声を上げて戦っている仲間をネット越しに見ていると、傷ついていたのは私だけではなかったんだなぁ、と思う。

 

みんないっしょ、そして生きている

 

みんな、泣きたいよね。思い出すよね、あの頃、世間から隠れてひとりで傷ついていたときのことを。悲しいし、怒れてくるし、落ち込むし、逃げ出したいし、見ないフリも、できたらしたいよね。誰だって、どうしようもないことを、どうこう言われて傷つくのなんていやだよ。

 

私は今日も仕事へ行きました。自分や、周りの人たちへの愛を生産するために。出かける前にパートナーの作ってくれたお弁当を持って、行ってきますのキスをして、一生懸命働きました。途中で愛妻が作ってくれたお弁当を、さも自分で作ったように見せかけ、まだ彼氏はいないのかと気にする先輩の言葉を笑顔でかわし、独り身に見せかけた空元気をまといながらその場では嘘をついてとり繕いました。お茶汲みをきっと「女だから」という理由で何の躊躇いもなく頼まれたりしました。嘘をついて、怒りを堪えつつ、気を遣い、くたくたになって帰ってきて、仕事の反省をしたり愚痴を聞いてもらったりしながら、パートナーと一緒に夜ご飯を食べました。そして、今日は比較的涼しい夜だからと、愛犬を連れて夜の散歩を楽しみました。

 

レズビアンの私は、今日もいつも通り生きています。国会議員の発言に傷つけられながらも、世間の心無い言葉に傷つけられながらも、なんとか生きています。ああ、ギリギリだ、と思うことももちろんあります。だって最悪じゃない?嘘や我慢をし続ける生活って。なんで同性愛者として生まれてきただけで、こうも苦しまないといけないのって、思うじゃない。

 

だけど、私を必要としている人がいるんです。私を愛してくれたり、私の言葉で生きようと思ってくれたり、私みたいになりたいと言ってくれた子もいる。その人たち、その子たちの笑顔は、私が守らないと。だからちゃんと自分のことも守らないと。誰かに大事にされている自分だから、間違ったこととは、ちゃんと戦って「辛いよ」「なんでそんなこと言うの」「人権侵害だ」「差別だ」とちゃんと声をあげないといけないんです。

 

隣の誰かを幸せにできる人でありたい。みんながみんなのために無条件の愛を作り上げる国にしか住みたくありません。あったかい笑顔でいっぱいの、自分とは何かが違ってもお互いが認め合える国になるといいね、いつか。なるかな。なるよね。

 

 

声を、あげよう。

 

 

私たちは傷つきました。

杉田水脈議員、私たちは、傷つきました。