熱帯夜

女として女に愛され愛したい

父親にしかできないことなんて、きっと無い

友人が鞄につけていたバッジ
(掲載の許可をいただいています)

今年の夏にあった出来事について

「本当は娘として家に迎えてやりたい。ただ俺にはその勇気がない。申し訳ない。あの田舎で、それをしてやれる勇気が、どうしてもない」



私の父はレズビアンの娘をもったことで、家父長制の洗脳から少しずつ解放されつつあるのだと思う。

こんな日を想像していなかったから夢みたいで、本当にあったことだったかどうかも分からないぐらいに胸がいっぱいになった出来事だったから、文章にして世間に出すのに時間がかかってしまいました。

今年の夏は、いろんなことがありました。感じることや考えることが多すぎて、脳がオーバーヒートしそうな夏だった。あっと言う間にそんな夏が過ぎ、気付けばツクツクボウシが鳴き始め、愛犬との散歩中に秋の虫の音色に気付く頃、毎年この時季には必ずといっていいほど随筆したい気持ちが大きくなります。

だからこのことを書いて、みなさんに私の夏の出来事をゆっくり知らせようと思いました。私のパパがどれだけ最高で、かわいそうで、愛情がある人なのかということを。自慢のパパを知ってほしいと思って。

親族の結婚式への参列を余儀なくされた

二度と出たくないと決意した結婚式に、参列をしなくてはいけなくなりました。親族の結婚式からは逃げることが許されなかった。

最初は断固拒否していたのですが、私の良き理解者である妹とパートナーからの同時説得があり、ひとしきり号泣して喚き散らかした後、渋々ですが参列を決めました。二人ともが、私がどれほど結婚式に苦手意識を持っているかを知ってくれているし、両親や親族との関係性を冷静に見極めてくれていることにも気付いていたから仕方なく。頑固で感情的な姉、及びパートナーですまんな……。

(そこで大切な妹に「こんなに嫌な思いをしたのに、私の結婚式に来させてごめんね」って言わせた社会のこと、心の底から呪ってるよ……)

妹には子どもがいて、まだ手のかかる年齢だから、面倒を見ることを口実にできるだけ現実を見ないようにして頑張ろうという話になりました。ていうか、なんで私側が頑張らないといけないのかが理解できないけれどね? なんでっすか?(頑固うるさ)

直視できるわけがない結婚式

結局、楽しかったのは妹たちと一緒におめかしをしてヘアセットをしているときまで。

あとはもう地獄、地獄、地獄。どうしてここにいる人たちは、こんな風に楽しそうに笑ってんの? 異性を好きになるっていう理由だけで堂々と「婚姻」ができるのなんで? それだけでなく集まってくれた大切な人たちに、「この人がパートナーです。これからの人生、この人と一緒に歩みます。応援してください」って何もかもを伝えることができる「式」までできてしまうんだ? なんで? なんで私はできないの?

予想していた通り投げやりな気持ちになって、式のほとんどの時間をお酒と共にロビーで過ごしました。不平等な社会に対して、一人で怒って絶望しているような、寂しい気持ちに耐えられなくなってしまって。

ベビーカーの中で眠たそうにする甥っ子をあやしながら、私の気持ちと同じような暗い色をした外をひたすら眺める時間。中から聞こえてくる楽しそうな声と音楽と拍手は、私を一層ひとりぼっちにさせました。

窓ガラスに映るのは、左手の薬指に指輪をしていても、こんな風に世間に公表したりお祝いをされたりする権利がない女の人の姿。……私です。来たくなかったのに、頑張ってここまで来てえらいね、お酒を飲むことでなんとか凌いでおりこうだねぇ。



「……ここにおったんか」



外が暗過ぎて室内の光が反射するガラス越しに、こちらに向かって歩いてくる人影。かけられた声に振り向くと、私のパパでした。娘が会場から逃げていることに気付いていたのかな。

私がパパにカミングアウトをしたのは、六年前。ちょうどパートナーと一緒に暮らす決心をした頃。パパの性格はとても神経質で、真面目で、人の目や世間の目を気にするタイプ。それらは当然、ホモフォビアや差別的な発言に繋がっていて。日本の悪しき社会規範を刷り込まれている、典型的な人とでもいいますか。そこに遺伝子レベルでの性格も相まって、私が同性愛者であることをカミングアウトなんてしたら正直、命を絶ってしまうんじゃないかしらと心配していたような人。

当時のことは辛すぎてブログには書いていないです。自分が同性愛者であることは墓場まで持っていこうと思っていたものの、私が好きな人と一生暮らしていく覚悟をしたことをどうしても伝えたくて、急なカミングアウトでパパをパニックに陥らせてしまった。そして案の定、差別発言のシャワーを浴びせられた。

それでもパパが死なない限り私はあなたの娘であり続けるし、彼女と出会えたことが私の一番の幸せだから、育ててくれてありがとうという思いで「パパとママのような関係になりたいと思っている」という内容の手紙を書いて、家を出ました。

あれから六年経って、パパの中で私が同性愛者であり、すでに同性パートナーがいることはなかったことにされているような日々が続きました。家族全員にカミングアウトしていたから、会話の中でなんとなくパートナーの名前を出してみるものの、会話に入ってくるわけがなく、いつもだんまり無視。私が娘であることには変わりないけれど、女として女を好きになる部分だけを見て見ぬフリしているようでした。

そんなパパ相手だったけれど我慢できず、今日は弱音を吐きたかった。見て見ぬフリをしていたって、あのときはっきりと私は同性愛者だよ、と伝えた父親に。



「結婚式はイヤ。いいなぁ、結婚したい」



このとき言葉にできる、精一杯の今の気持ちだった。別に、いつもみたいにこの呟きを無視されてもいい。「いつかいい男が現れる」とか「早く嫁にいって安心させてくれ」とか、例えそういう傷付く種類の言葉をかけられても、それでもよかった。

だってあのときカミングアウトした事実はあり続けるし、なんと言われようが私がレズビアンであるという現実も消せるわけじゃないし、それにもうホモフォビアを持ち続ける人と戦う気持ちすらなかったし。一線を引いて生きていく覚悟をしたのに。



「……そんなこと言うな。これは ”義理” だでな。……でもま、こればっかりが人生じゃない」



もう十分に傷付いている私をこれ以上傷付けないように、選ぶようにしてぽつりぽつりと紡がれる言葉。少し困って、微笑んでいるような低い声。カミングアウトしてから一貫して避けられていた話題だったのに、こんなにも真正面から切り込んでくれて、びっくりした。びっくりの次に、うれしさが来て。

このときは湧いてくる感情を咀嚼して飲み込むのに必死でした。色んな感情が次々と溢れ出て、子どもみたいにわんわん泣きたかったけれど、そういえば私はもう大人だったから我慢をしました。でも、パパがその場から静かにいなくなってから少しだけ泣いた。

父が私にずっと伝えたかったこと

感情の処理が追いつかなくてその場を動けず、それ以降は会場の中にも入れなくなってしまいました。こんなに可愛いドレスを着て着飾っているのに何も楽しくない、というささくれた気持ちよりも、パートナーが同性という理由で結婚ができない理不尽さに傷付いていることをパパが知っていてくれている、という安心感に浸りたかったのかもしれません。

ベビーカーを揺らしていることで甥っ子が夢の中に行ってしまった頃、さっきよりもアルコールが回った顔で再びパパが隣にやってきました。

会場の幸せそうな雰囲気を纏って照れたみたいに笑ってた。いま思えばヘラヘラしていたけれど、言いたいことを言いにきたぞ、というような覚悟が滲み出ていたような気がする。会場の幸せなお祭りムードと、私の暗い気持ちの両方を知っている、この場での架け橋みたいな存在のパパがまたそばに来て、時に涙を浮かべながら語ってくれたのは。

自分が過去、精神的に参って仕事に行けなかったときに娘たちが前を向いて生きる姿に励まされていたこと、私が長女だからって、父親らしくしなければという強迫観念から幼い頃に厳しく育てすぎたと後悔していること、家を出てから喫茶店で偶然会ったときにパートナーが挨拶に来てくれて嬉しかったのに照れて何も返せなかったこと、自分自身の思いとしては(パートナーと私が)二人揃っていつでも実家に帰ってきていいと思っていること。

…………あのパパがこういう考えになるまでに、六年もかかったんだなぁ。でも逆に考えれば、たったの六年かぁ。たった六年で、父親としての自分の気持ちを咀嚼して、同性愛者だった娘を受け入れる準備をしようとしているのは、やっぱり社会の方も変わってきたからなのかもしれないですね。

今でも正直なところ、私が男性と結婚する未来を少しだけ信じている部分があるのかもしれない。でも同性愛者だからという理由だけでしたい結婚ができない娘が思わず溢した弱音に対して、「幸せのゴールは結婚じゃない」と言ってくれたんだよね。女性と結婚したいという私の気持ちも受け止めた上で、今の社会で言える親からの最大の慰めの言葉だと思っている。

「本当は(パートナーを)娘として家に迎えてやりたい。ただ俺にはその勇気がない。申し訳ない。あの田舎で、それをしてやれる勇気が、どうしてもない」

まるで神様に今までのことを懺悔をするように声を震わせて泣きながら話すパパの姿に、涙が止まりませんでした。この糞社会が彼をこんな風に泣かせていると思うと苦しくて悔しくて。

娘が人生の伴侶を見つけたということをカミングアウトをしただけなのに、こんな風に自分を責めるようなことを思わせてしまう社会が悪いんだと、私も泣きながら、何度も何度もパパに伝えました。



この夏、仲間のひとりが自死を選びました。
そのときこの社会にまだ生きている方として、手紙のような文章を捧げました。

りゅうちぇるへ - 熱帯夜

 

その中で、

 

りゅうちぇるの報道を見ているはずの、私がカミングアウトをした誰からも、連絡は来なかった。「大丈夫?」「あなたはあなたのままでいいよ」そんな風に言ってくれる人は、私の周りにもいなかった。りゅうちぇると同じようにいつでも死が隣にあることを、家族も友人も誰も知らないみたいだった。彼らは私が死んでから、なんと言うんだろう。

 

こんな気持ちになったことを、それはもう鮮明に、昨日のことのように思い出します。パパは私の隣で大粒の涙を流しながら、こんなことも言ってくれました。



「そのままでいい」
「お前が、元気に生きて、とにかく生きていてくれたら、そんなに幸せなことはない」



りゅうちぇるがこの世から姿を消した報道ばかりされていたとき、もしかしてこの人は薄々感じていてくれたのかもしれない。自分の娘も同じように、死と隣り合わせであることについて。恐怖を感じてくれていたのかもしれない。私が姿を消す前に、生きているうちに伝えてくれてありがとう。

家父長制をぶっつぶせ

自分の娘がこの社会で命を保つことすら酷な事態にあると気付いたとき、ただ娘が娘らしく生きていてくれればいいという、自分の中にある最大の愛情に気付いてくれたんだね。きっと今の私の年齢と同じ頃に、逃げられない社会構造に沈められて必死で生きてきたんだね。「この家の主人は俺だ、だから強くいないと」「人様に嫁がせても恥ずかしくない女を育て上げないと」って。言い聞かせてきたんだね、自分に。

社会に静かに身を潜めて、一秒一秒誰かを呪っている家父長制の洗脳に気付かない人たちが多くいるここ日本で、自分とパートナーが生み出した女の子が女の人になって、女の人を好きになる性的指向を受け入れること、どれだけ大変なことだっただろう。

この社会で男として、父親として、強くあらねばならないというプレッシャーに押し潰されそうになりながら生きてきたパパにとって、同性愛者の娘に対して「そのままでいい」と言うことが、どれだけ大変なことだっただろう。大変だったけれど、涙を見せてでも、急に自分の前からいなくなってしまうかもしれない娘に伝えなければ、と思ってくれたんだね。

もう強くあろうとしなくてもいいんだよ、って伝えたかったのに、次々に溢れ出る涙と嗚咽のせいで、上手に伝えられなかった。あのね、多分だけど、男である父親にしかできないことなんて、きっと無いんだよ。あなたは父親である以前に、私の親なんだよ。子どもは親が味方でいてくれるだけで自分の力で「生きよう」「前に進もう」と思えるんだよ。

あんなに泣いたことは、久しぶりだった。
あなたの愛情を、信じていてよかった。

こういう思いを自分の子どもにさせてあげられないことが、人生において唯一の心残りだけれど。でも、そういう思いを抱くかどうかなんて受け取る子ども側の話だし。そもそも私の子は、私じゃないしね。




パパ、私に人を愛することができる命をくれて、ありがとうね。大好きだよ。

りゅうちぇるへ

りゅうちぇるが死んだ。昨日、りゅうちぇるが自殺した。目の前が真っ暗になった。お酒を飲みながら、パートナーと一緒に好きな実況者の動画を観ていた。「えっ!?」スマホを触っていたパートナーの愕然とした顔と、口元を押さえながら「りゅうちぇるが……」という小さな言葉で全てを悟ってしまった。悟ってしまうような状況下でりゅうちぇるが生きていたことを私はもちろん、多分、みんな知っていた。

最初にやってきたのは足元の床が抜け落ちたような心許なさ、仲間が自死を選んだことの悲しみ、そしてこの社会への怒り。その日は何を呟いたかあまり覚えていないけれど、とにかく色んな感情をビールで流し込んだ。こんなことを思いながら。

 

一晩経って、朝起きて一番最初に思ったのは、これ。

 

りゅうちぇるが、もういない世界であるということ。今まで自死を選んだ芸能人だけでなく、誰かの死を報道されれば毎回、心を痛めた。芸能人の命にランクづけをしているわけではない。私にとってりゅうちぇるは、仲間だった。だから仲間が一人、自分で自分を殺めたという事実は、他の誰かが死んでしまったときよりも、重くのしかかった。

りゅうちぇるの報道を見ているはずの、私がカミングアウトをした誰からも、連絡は来なかった。「大丈夫?」「あなたはあなたのままでいいよ」そんな風に言ってくれる人は、私の周りにもいなかった。りゅうちぇると同じようにいつでも死が隣にあることを、家族も友人も誰も知らないみたいだった。彼らは私が死んでから、なんと言うんだろう。

今日一日、本当にとても暗い気持ちだった。全てのことに苛ついて、表情が上手く作れなかった。一刻も早く帰りたかった。子どもの体温に命を感じて、その温かさに縋るような気持ちだった。

ここだけの話、本当にここだけの話、あんなに話題にされることが嫌だったのに、まるで何事もなかったかのように明るく楽しそうに笑っている全ての人を殺そうかと思ってしまった。それか、私自身を。

あまりにも酷い結末。いや、これは結末なんかじゃない。クソ社会はこのままずっと続いていく。終わらない。終わりがない。社会が誰かをこうして何人殺したとしても、きっと変わろうとしないんだろう。だって、LGBTQI+なんていない方がいいって思う人たちばかりで構成された社会なんだから。

国は異性同士以外の結婚を頑なに拒否しているし、違う名字を選択して一緒に生きていきたいふうふたちの望みを断固反対しているし、「どのような差別もしてはならない」と、きっぱり表現することもできない。岸田首相は「同性愛者が隣に住んでいたら嫌だ、顔も見たくない」というヘイトを撒き散らす最低野郎を、またあっさり役職に戻している。

私たちを守ってくれるのは、誰なんだろう。ね、守ってくれなかったね、りゅうちぇる。思うことが多すぎて、こうしてりゅうちぇるに向けたブログを書いていても、上手くまとまらないや。もうどんな声も届かないことだけが事実なんだよね。寂しいよ。悔しいよ。あなたは大切に尊重されるべき存在だったのに。

性的マイノリティの自殺率が高いことを、自ら社会に証明してあげたの? ヘイトや差別が溢れる世の中に? ねぇりゅうちぇる、さすがにそれは優しすぎ。なぜ愛ある世界を望む心を持った人がこんなクソ社会の犠牲にならなければならないの? 私たちが生きている意味ってなに? 確かに私にも分からないよ、りゅうちぇる。あなたが選んだ死の道は多分正しいよって、また結局こんな風に寄り添うことしかできなくて、ごめん。本当にごめん。ごめんね。ごめん。あなたの気持ちだけが、正解だったんだと思う。あなたにとって。

 

 

どうやって生きていこうね。
こんな社会でね。

この指輪の呼び方を誰か教えてください

こんにちは、mira(@mirara_l)です。

今日は指輪を購入した日のことを書きます。私たちが二人で選んだ指輪は一体なに指輪なのか、どう呼べばいいのか、誰にも分からないのでしょうが。

兎にも角にも、指輪を購入しました〜〜〜! 嬉しい!


購入したのは、トレセンテさん。親しくしていただいている、大好きなフォロワーさんが、このジュエリーショップを紹介してくださったのです。

 

私たちと指輪

 

私たちは出会って16年が経ち、一緒に暮らし始めて6年目の女性同士のカップルです。ふうふと呼んでいいのなら、ふうふ関係にあります。

社会や国から「新婚生活」や「結婚生活」と言うべき期間を取り上げられています。婚姻した者同士として社会的に過ごす権利だったり、異性愛者には当たり前にある〇〇生活と名前のついたそれら。異性のカップルはきっと意識もしないであろうそれら。(最大級の嫌味を込めて)おかげさまで、新婚の期間がいつの間にか終わっちゃってたなぁ……という感じ。

一緒に住み始めた日とか、出会った月とか、節目節目の記念日はあれど、「付き合った記念日」は正確にはなくて、昔から一緒にいる感じなので、わざわざ指輪を購入する機会も今までなく。

(もちろん結婚記念日もないことは分かりきっているだろうけど書いておくね! 社会のせいで私たちの結婚記念日はないよ! )

今まで「なんで結婚しているのと変わりない関係なのに、左手の薬指に指輪がついていないだけで勝手に独身と決めつけられてあなたを隠さないといけないの! わーん!」と本気で泣いたことなんて数えられないほどあり、そんな私を宥めるように、パートナーからそういう意味の指輪を贈ってもらったことは何度かありました。でもペアではないし、カミングアウトしていないからつけたまま日常を過ごせない。

田舎暮らしの地方公務員という立場では仕事上、どこでも、誰とでも繋がり、またその人たちがさらに誰かと繋がっていて、そういう中で嘘をつき続ける自信も勇気もないのです。小さい頃から私を知っている人たちと同じ職場になることも多くて、旧姓のまま指輪をつけ続けている奇妙な女として噂されることが手に取るように分かる。指輪一つでこんなにも振り回される人生って何? そもそも、なんで結婚できん?

前置きが長くなりましたが、今回、指輪の購入に踏み切った理由は、

 

  • パートナーの誕生日にプレゼントしたかったから
  • 異動希望を出したことで、違う管轄の職場で働けると思ったから

 

アレです、知らない人だけのところにいけば、パートナーと一緒に住んでいるということだけでも嘘をつかずに済むかなって。今の職場での私は、実家の近くに犬と暮らしている一人暮らしの女。現実は事実婚の中にさえ入れてもらえないクソ社会です。

まぁ、新しい環境でも指輪をつけていったらつけていったで、今度は「なんで籍を入れないの?」とか「なんで事実婚を選んだの?」とかいう質問に苦しむことになるのは想定内ですが……。

それでも、大切な人と同じ指輪を、お守りのように常に身につけていたかった。ママとパパがつけていたのと同じように。私は女性のパートナーに愛され、愛しながら、何にも変え難い尊い毎日を送っているっていう証のようなものが欲しかった。

てことで、数年前から細々と情報収集をしていました。そして大切な指輪を買うときには、どうしてもLGBTフレンドリーなお店で購入したかった。

 

トレセンテの安心感

 

素敵なコンセプトやデザインのジュエリーショップを訪れても、最終的にはたくさんのマイクロアグレッション*1に遭ってきたから。どうしてもスタッフさんからの無意識の差別に傷つきたくなくて「最初から」信頼できるお店がよかったんです。

トレセンテさん (@trecenti_flora)は、Twitterでも #結婚の自由をすべての人に 訴訟のことを積極的にリツイートしたり反応したりしていて、企業として、すべての人が婚姻の権利を使えるようになることを応援してくださる姿勢が、とても心強い存在でした。

↑ 当事者的に、あまりにも救われませんか?(泣)仲間外れにされないって、こんなにも安心することだったの? 私のパートナーを勝手に「彼」だとか、隣にいる同性を勝手に「ご友人」だとか決めつけられないって、安心できすぎる……(泣)こういう企業にお金を落としたいんです。フォロワーさんの言葉をお借りするなら、買い物=選挙だから。

様々なところで「彼氏は?」「旦那さんは?」と勝手に決めつけられて呼ばれる中、公式がどんなときでも(もちろん異性同士のカップルだったとしても)「パートナー」「お相手様」という呼び方をしてくれるのは、それだけで安心できること。


(管轄外異動に関しては結局おじゃんになってしまい、せっかく買ったのに、毎日つけていけないという地獄が待っていたというのは、またいつかの記事でお話しますね……)

 

パートナー生誕祭2023の内容

 

パートナーは星とか天体とかが好きなので、プラネタリウムを見に行きました。カップル用の寝転がれるシートを予約していたので、二人で広いスペースでゆっくりと物語に没入できる環境で最高すぎたよ。

語りとストーリーと音楽が全部バランスよく共鳴していて、その世界観にうっとり。文学作品と天体が合わさると、どうしてこうもロマンチックなの。パートナーにプレゼントしたはずだったのに、自分も便乗して楽しんでしまいました。へへ。

カップルシートは4席。
私たち以外は男女でしたが、暗いからあまり気にならなかった。



▲ しっかり物販もチェック。
天体物のグッズって、なんか可愛いよね。



▲ 好きなものを買ってもらい、ご満悦のパートナー。

 

いよいよトレセンテへ……!

 

少しおめかしをして、いざ。

ホテルの中にあるらしく、入り口がなかなか探せず、フロントで尋ねて辿り着きました。想像よりもこじんまりとしていて、イメージカラーの深い赤で統一された店内が、すごく素敵。

てか何が良かったってさあ!!!(大声)

女同士で入店することにひどく緊張して喉が渇いていて、空元気みたいなテンションを出しちゃう私たちだったのに(主に私)、スタッフさん全員が自然に迎え入れてくれて、それだけでも安心するのに、わざわざ個室に通されなかったこと……(喜びの涙)

私たちは隠れるべき存在でもないし、隠されるべき存在でもない。普通に、他のカップルと同じように扱ってほしいだけで、それが初めて叶った……(泣)こちらが個室を準備してほしいと思うシチュエーションでない限り、普通でいいんすよ、普通で。

他の男女のカップルと同じように席に通されて、ごく普通に対応してもらう。女性同士だからって特別なことはなく、連名でウェルカムカードを用意してくれて、お水の提供を受けて。普通に、何もかも本当に普通に対応が進んでいく。初めましてのスタッフさんなのに、私たちカップルの指輪の購入に至った決意を喜んでくれたり、付き合いの長さにうっとりされたり。なんて素晴らしい空間だったんだろう、いま思い返しても。

「普通に対応してもらう」。そんなことに感動してしまうほど、普段の生活での中では、それらが1つも叶わない。きっと今日でも、指輪を買いにきたという名目がなければ、私たちは街でカップルと扱われる機会が一切ない。

でもこんな素敵なジュエリーショップという非日常的な空間にいたら、そんな事実に胸がキュッとする時間は少しもありませんでした。初めて本物のジュエリーを選びにきたということに、どうにも心が落ち着かない二人だったね。

▲ 手書きで書いてくださった、ウェルカムカード。
あたたかいきもちになりました。


対応してくださった店長さんが、一つひとつ、私たちが納得できるように丁寧に提案してくださったおかげで、これしかない!というデザインに出会うことができました。本当にありがとうございました。

何より指輪の付け心地の良さにびっくり仰天でした。紹介してくれたフォロワーさんが先に教えてくれていたというのに、二人でテレビショッピングばりの反応をしてしまって笑われてしまった。

もしもここで指輪の購入を検討されている方たちがいらっしゃったら、公式サイトとかを見たり、実際に行ってみて聞いたり感じたりしてほしいので詳しくは書きませんが、すごくこだわって作られたものなんだなぁということが分かったんです。

こんなに一緒にいるから反応も似てくるし、好みもなんだか似ちゃって、そこにも「さすがお二人ですね」と笑顔で応対してくださる、優しい笑顔の店長さん。

本当、さすがにね。16年も一緒にいればね。でも私たちは、ふうふじゃない。結婚ができない。なんでだろう。こんなにも嬉しそうに指輪を眺めているこの人が愛おしくてたまらないのに。



「……私たちは、何指輪を買おうとしているんだろう。」



店内に飾ってあったレインボーフラッグと、店員さんの胸についたプライド色のバッジ、そして私たちが最高の買い物をできるようにと一生懸命サポートしてくれる店長さんの対応が、そんな風に闇堕ちしそうな心を救ってくれるようでした。

 

デザイン

 

流れるような曲線が指をより美しく見せてくれる、フェミニンなものに決めました。プラチナの輝きが指に馴染んでとってもきれい。

私はそれこそ、両親の指にいつも見ていたシンプルな石なしのデザインのものが憧れだったので、シンプルなデザインのものに。パートナーは、キラキラしたものが大好きで憧れだったそうなので、表面に輝くダイヤを嵌めてもらうことに。

来店前からずっと検討していた双子ダイヤモンド*2を指輪の裏にそれぞれ嵌めてもらうことにして。

二人のイニシャルと、本当は私たちの結婚記念日になるべきだった、一緒に暮らし始めた大切な日、「3.3」の文字の刻印をお願いしました。

 

結婚できる日まで

 

初めて会ったあの日、お別れの前に私はパートナーをこのカフェに連れてきたそうです。ここに寂しい思い出しかないとのことだったので、ふうふになったいま、再び訪れてみることにしました。

緊張と寂しさでケーキの味もコーヒーの味も分からなかった頃の二人は、こうして長い時を経て一緒に暮らし、人生を共にしています。

たくさんの時間を重ね、たくさんの気持ちを共有し、でもたまにお互いの気持ちが分からず、激しい喧嘩をして、譲り合ったり認め合ったり。

それでもご飯を食べて一緒のベッドで眠り、お金を稼いだり、税金を納めたりする。それぞれの家族を大切に思い、一緒に大切な命を育てている。

何を理由に私たちの関係を否定できるのか、何を理由に私たちを認めないと言えるのか。

自分が暮らす国の政治家から「見るのも嫌」「隣に住んでいるのも嫌」とヘイト発言を浴びせられ、生産性がないから税金を使う必要がないと罵られ、そんな考えを自分に向けられるのが怖いから、職場ではカミングアウトできずに、たくさんの我慢をしている。自分ではない仮面をかぶって暮らしている。

その結果、女性であること、また独身であることで、同性からも異性からも、心無い言葉をかけられたり、性的指向を勝手に決めつけられたりする。

よく生きてるよ本当。私たち、本当によく生き延びているよ。今日も、誰も死なないで。せっかく買った指輪を常につけられない私も、必死で生きるからね。

 

 

*1:小さな攻撃性。人と関わるとき、相手を差別したり、傷つけたりする意図はないのに、相手の心にちょっとした影をおとすような言動や行動をしてしまうこと。(引用元:マイクロアグレッション | SDGs用語集 | 一般社団法人 日本ノハム協会

*2:数億年もの時を共に過ごした2粒のダイヤモンドを、パートナーと二人だけで分かち合います(引用元:トレセンテHPより)