熱帯夜

女として女に愛され愛したい

女に女扱いされたい

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……これが、私の性的指向の全てと言っても過言ではないかもしれない。

 

「レズビアン」と一口にいっても色んなタイプのレズビアンがいる。世界には、もうここに書き切れないほどのいろーんなレズビアンがいて、性格も感じ方も想い方もみんな違うからきっと同じレズビアンはこの世に存在しない。なのに、レズビアンと一括りにすると一気にAV感が出る世の中だ、この日本では。

 

私はパートナーに女扱いされている。これがものすごく嬉しい。今まで付き合ってきた女の人の前では、私はタチ、いわゆる攻め、引っ張っていく方で“いなければならなかった”(こんなときでも分かりやすいからって絶対に“男役”だなんて表記はしない)。しっかりしていないと多分ネコだった彼女たちの欲求を満たせなかったし、私がそこに居る意味がなかったように思う。

 

無理していたんだなぁ。私はずっとずっと、女の人に女として扱ってほしかったんだ。タチが嫌とかネコになりたいとか、そういう話ではなく。「女扱い」を男性にではなくて女の人にしてほしい。今でもされると本当に嬉しい。女の人に甘えたい。女の人に女としてモノを言いたいし、女の人に女扱いしてほしい。そっと頭を撫でられたり、無条件に甘いものを与えられたり、他愛ない話を聞いてもらったり。

 

女としての私を、女のあなたに愛してほしい。ダイエットをしてもなかなか減らないおなかをバカにするように優しく後ろから抱き締めて撫でてほしいし、あなたにきれい、触り心地がいい、って言ってほしくて頑張ってケアしている髪の毛を死ぬほど触ってほしい。持ちきれない荷物は私の非力に文句を言いながらも簡単に持ってほしいし、電車の中でくさいおじさんが居たら前に立って守ってほしい。

 

多分、パートナーは性別で私を好きになったわけではないから、女として愛してほしいっていう言葉が苦手だと思う。仕方のないこと。だから、今のまま、どうか私という人間を愛していてくれれば、それでいい。結局、それで私は満たされているんだから。

 

(おそらくノンケであろう)男の人からの女扱い

 

苦手というか、そもそも(異性が好きな)男の人から(異性が好きな)女と見られると、正直どう接したらいいのか分からない。こんな異性愛者主義の世界で育ってきたから、どんな反応をしたら喜ぶのかは十分知っているけど、全く嬉しくないから嘘のリアクションをとることが申し訳なくなる。申し訳ないけど、でも同性愛者だと悟られることはリスクがあるからきゃぴきゃぴしている。異性愛者を演じて。

 

私が異性である男の人に女扱いをされて嬉しそうに笑っている姿なんて、誰も想像しないでほしい。あり得ないことだから。誰にも想像してほしくないのに、私が同性愛者だとカミングアウトしないことには、ほぼ100%の人が私を異性とセットで想像する。いくら嫌だと言っても。私が心からそれを嫌悪していたとしても「そういう世の中だから」。

 

ほんの少しの悪あがき

 

同性愛者は、どの国にもどの地域にも居て当然の存在なのに、タブー視されるのはどうしてなんだろう。いつになったら、私たちは正しく息ができるようになるんだろう。

 

だから私は頭の中で想像する。あの俳優さんが男性の隣で男扱いされていることを。その事実に嬉しそうに微笑んでいる姿を想像する。あの女優さんが、女の人に女のわがままっぷりを存分に発揮して何度も許してもらっている姿を想像する。私と同じように同性の恋人に可愛がってもらっている姿を。逆にたくさんの愛で同性のパートナーを包んでいる姿を。

 

それで、満足する。それから私はパートナーに甘えさせてもらった分、次は同じようにあの子を甘やかしたいと思って、ちょっとお姉さんになって嬉々として接しにいく。女の人に甘えるのも女の人を甘やかすのも大好きだ。どちらも相手は女であるパートナーでないと嫌だけれど。これが、私なんだ。

【観劇感想】舞台『剣豪将軍義輝~星を継ぎし者たちへ~』義輝 後編、観に行ってきたよ!

こんにちは、mira(@mirara_l)です。6月17日(土)に、EXシアター六本木にて、舞台 剣豪将軍義輝の後編を観劇してまいりました。

 

mottorekishi.com

 

当然いまは義輝ロス

 

あまりに心揺さぶられて、今もかなり義輝ロスです。拡樹さん関連で少年社中の『三人どころじゃない吉三』とか、ディスグーニーの『Sin of Sleeping Snow』とかを観劇して、静かに涙を流したことがまだ記憶に新しいのですが、今回の義輝観劇での泣き方はね、もう比にならない。肩の震えが止まらないほど嗚咽を我慢しながら泣いたのは、観劇史上初、でした。


原作は文庫で上・中・下とあるのですが、私たちは上・中のみ既読で前編の観劇をした時点で登場人物たちにかなり惚れ込んでいました。だから続きがすごく気になった。ただ今回、後編のお芝居を観にいくことが決まったときに、下巻は読まずに舞台で義輝の最期を知ろうね、と約束して出かけたんです。それが本当に正解だった。

本当に原作が面白くて、そちらも涙無しでは読めない作品なのですが、座間さんをはじめとするもっと歴史を知りたくなるシリーズに関わる方のお一人お一人が、あの時代に生きた義輝の壮絶な人生をどう受け取り、どう私たちに届けてくださるのかが楽しみで仕方がなかった。

 

もっともっと覚悟が必要だった

 

 

もう、予想を遙かに超えられてしまって……。泣いて泣いて、ただ泣いて受け止めることしかできなかった。周りのお客さんも、隣で観劇していたパートナーも、みんなみんな義輝の生き様に涙が止まらなかったみたい。

剣豪将軍である義輝を演じたのが染谷俊之という役者で良かった。だって板の上にいたあの人は間違いなく、足利義輝だったんだもの。前に上映会のイベントに参加したときの記事にも書いたんですが、29才の染谷俊之という人の中に29才でこの世を去った第13代征夷大将軍の足利義輝が確かに存在したのを見ました。まるで、452年前のこの日が命日である義輝の魂が、染ちゃんに会いにきていたかのようだった。

千秋楽は残念ながらチケットが取れず悔しい思いをしましたが、この日の公演はきっと他の日にはない特別な想いをもって演じていたんだろうなぁ、と思うとうれしかった。私たちにとって1回きりだったこの1公演しか見ていないし、もちろん他の公演一つ一つを全力で、届けてくださっているのは分かる。それでも「永禄の変」が起きた452年後の6月17日に演じるんだ、という静かな想いが十分にキャストさん全員から伝わってくるようでした。特別な日をあの会場全体で共有できた素敵な空間でした。

 



▼ れきしクンこと長谷川ヨシテルさんが、私の気持ちを代弁してくれていました。

 

『五月雨は 露か涙か 不如帰 我が名をあげよ 雲の上まで』

 

本当に五月雨が降っていて。あの雨は義輝の涙か、小侍従の涙だったのか、それとも鯉九郎の?浮橋の?玄尊のものなのか、小四郎のものなのか。誰のものなんだろう、会場にいた私たち?あの時代に生きていた世間の人たち?もう分からなくなってしまって。ただこの時代に生きていて、一緒に観劇を楽しめるパートナーが隣にいてくれて良かった、と思った。

最期が近付くにつれて穏やかな表情になっていく義輝。今でもあの100人斬りの光景がスローモーションみたいに、やっぱり雨の音と一緒になって思い出されます。


自分でもびっくりするぐらいに衝撃を受けて胸にズシンときた舞台でした。もちろん感謝祭にも参加しましたよ~。千秋楽のチケットは全く勝てなかったのに、感謝祭は滑り込みセーフで購入することができました。よかった。

寝るときまでずっと義輝の感想を話しながら千秋楽が無事に終わるようにと祈り、2日連続でEXシアター六本木に。ここは幻の城や歴タメLIVEで何度も足を運んでいるので1番馴染みのある劇場かもしれないです。

▼ 観劇前恒例のカフェも、もちろん利用しましたよ!

 

▼ 物販も、楽しんで買えました〜

 

千秋楽後の感謝祭

 

感謝祭は、相変わらずアットホームな雰囲気で舞台本編とは打って変わって笑顔と元気をたくさん貰いました。個人的に主演で座長の染ちゃんが「お飾り公方」ならぬ「お飾りMC」としてふわふわした雰囲気で立っていてくれることが微笑ましかったです(笑)

幻の城のときの感謝祭はDVDで観てて、いいな~と思っていたので、今回自分も参加することができて、良かった!あの役者さんのイメージを折り紙で答えるという、某氏の「みんなに優しいカフェオレです♪」を思い出すコーナーにもちゃんと参加できましたよ。2階席だけど、キャストのみなさんが声をかけてくださったり、手を振ってくれたりしてうれしかったです。

私たち2人共、細貝圭くんの仕草にいちいち悶えてました。だってあの信長様の黒と赤の艶やかな着物姿で腕まくりしたり、足くるくる回してみたり……全く狙ってないところが逆にぐっときました。見てるところが変態くさいですね。かっこよかった~。

武智さんのお顔のペイントもゆっくり見られて「おおっ!」となりました。海の悪い人だからワカメとかが書いてあるって説明してくれた優しい武智さん、今回の役もかっこよくって超超超超お似合いでしたね……!

あと印象に残っているのは、杉江くんと輝山くんの赤ちゃん組かな(笑)めちゃめちゃかわいかった……。おじちゃんたちに「ここ邪魔だから退こうね~???」て言われたあとの必死の訴え→「え~?ここ座ってていいって言われたもん!」には正直萌え死んだし、あめちゃんもらったあとにポカポカ殴り合いのケンカしだすの堪らんほどかわいかった。今回はプチ土産が金平糖でしたけど、歴タメのときにはあめちゃんだったり。甘いお菓子もらえるのが、もっと歴史を知りたくなるシリーズの恒例で心がほぐれます。

 

歴史のエンターテイメント

 

その歴タメLIVEもまた夏に新作ということで楽しみです!早速、会場で先行抽選申し込みをしてまいりました。今回は刀ステの方に参加していて、こちらには出演されなかった我らが本命の鈴木拡樹さんも出演しますし、(染ちゃんとか寿里さんとか杉江くんいないのほんと残念ですが……)あの面白さはまた絶対に体感したい!

戦国鍋TVの3期を心から待ち望んでいるファンは多分ものすごい人数居るだろうし、いくらでもお金出しますからあのキャストのまま……!と願うのは私だけではないはず。おかずクラブさんもそう言ってた。でも、それが叶わないなら、今この2017年に戦国鍋TVをプロデュースした座間さんが企画するものの中で、歴史の魅力をこうして味わっていたい。新しいステージに全力でついていきたいです!!!だって楽しいもん!!!大好き!!!

 


でもやっぱり鍋のことは愛さずにはいられないから、夢は語り続けようね……。
最高でしたよね、戦国鍋TV……何がって全部よ……大好き……。

 

大樹が生きた証の余韻に浸りながら

 

この後に、宮本昌孝先生の書かれた原作をね、読みます。舞台の都合上カットされたところ、またはその逆で役者の魂が宿ることで更に魅力が増したシーン。この長編小説を読み終えたときに、また自分がどんな感想をもつのかが楽しみです。

歴史を知らないと、今の幸せはどうしても刹那的になってしまいますよね。義輝の時代に生きた人たちのおかげで、私たちが穏やかに生きていられるということを忘れてはいけないという大切な事実を胸に刻んで、今回のレポは終わります。

キャストの皆様、関係者のみなさま、確かにあの時代に連れていってくださった夢のような時間と、涙で胸がいっぱいになったたった一度きりの世界を体験させてくださり、ありがとうございました。ゆっくり体を休めて、次のお仕事も頑張ってください。

 

ameblo.jp

 

▼ 歴史を知るって、おもしろい! 

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▼ 前回の前編のイベントに行った記事はこちら

sultrynight.hatenablog.com

 

 

【読書感想】『ヤモリ、カエル、シジミチョウ』江國 香織 著

感想文は、いますぐに

 

私の場合、感想文って本でも映像でも舞台でもイベントでも、何においても間をあけることなく、すぐに書かないとだめなんです。そうしないと、心から楽しんだ後の高揚感を文章にすることができなくなってしまう。すぐでないと自分の中で感じた衝撃や感動を静かに咀嚼して飲み込んでしまうから。1度飲み込んでしまったものは、もう取り出せないんです。きっとそういう内向的な作業が好きなんだと思います。

 

だからブログに書く、というのはとても難易度が高い。のに、なぜするんだろう……と考えると、おそらく自分の作った文章に反応してもらえるのが好きだから。その反応の仕方が一人ひとり違うことがおもしろい。自分のブログへの反応に病みつきになっているのです。

 

今日が土曜日で良かった。土曜日に本を読み終えると、しっかりと文章にする時間があって幸せです。しかも今回は分厚いハードカバーの長編小説だったから。

 

江國香織という人が書く文章について

 

たくさんたくさん思いが溢れました。あるページでは子どもの頃の自分の視線になったようなあたたかい児童文学を読んでいるのに、ページをめくって視点が変わると紛れもない恋愛小説で。オカルトのように感じる怖い部分も、相変わらずきれいな言葉で埋め尽くしてあって、<読まない>という選択をさせてもらえない。でも読み進めると、不思議とそれほど怖くなくなってくるの。だってどの子も、どの人もかつての私であり、これからの私であるように感じるから。最高の江國香織ワールドでした。

 

江國香織さんが書く文章の何が好きかって、子どもの頃の思考や世界の見え方の描写がとても細かいこと。幼い頃に言葉にせずともきっと感じていただろうことがそのまま文章になっていて、読んでいて本当に心地いいんです。そしてかつての自分を思い出せるのが嬉しい。幼稚園児だったり小学生だった頃の自分が。100円玉を握りしめて行った、駄菓子屋さんの懐かしい香りを思い出す、そんな切ない気持ちになるのがいい。

 

確かに私の人生だったあの頃の記憶

 

この本がきっかけで詳しく思い出したのは例えば、小学校でのプールの授業中のこと。水から上がってプールサイドで目が痛くなるようほど強い直射日光を浴びているはずなのに、なぜか水の中より寒くて鳥肌が立っている自分の腕を見つめていたこと。濡れた肩に鼻を近付けて嗅いでみるとプール独特の塩素のにおいがしてそれが病みつきになっていつまでもしていたこと。その肩には産毛が生えていたな、とか、女子のおへその辺り、水を吸い込んだ水着がくぼんで張り付いているのを見るのが好きだったな、とか。

 

江國さんの作品は、そんな子ども時代の視線を思い出せる作品が多い気がします。それ以上に逃げ隠れできない大人の恋愛ストーリーの方が印象的だし、数も多いのが実際ですが。

 

この本を読んで思った最大の事実は、世の中には本を読まないと帰れない世界があるのだということ。きっと誰より子どものときの感覚を忘れられずに大人になってしまったのに、帰る場所が無くて彷徨う子どもの頃の私が、確かにどこかで生きている。

 

静かに余韻を楽しむ幸福


成人した拓人と育美の話も読んでみたいなぁ。生き物や植物と会話ができた小さい拓ちゃんは、どんな大人になったんだろう。弟想いでしっかり者の育ちゃんは、かつて「言葉の重さが全然わかっていない」と呆れて見ていた大人たちとは違う、自分が納得できる大人になったのかな?

 

子どもである彼らの周りに存在していたあの大人たちの人生は、それからどうなっていったんだろう。子ども中心にして読み進めれば、本当に大人の人生なんて取るに足りない、もう終わったことなんだとさえ思える1冊でした。

 

きらきら、そよそよ、わくわく、しくしく、たくさんの、色や音。今となってはうらやましく思うそれらが大人にも分かる文章で丁寧に書かれている。淡い余韻が残る物語でした。

 

ヤモリ、カエル、シジミチョウ

ヤモリ、カエル、シジミチョウ