熱帯夜

女として女に愛され愛したい

【Blu-ray鑑賞】舞台『ピカレスク◆セブン』感想

こんにちは、mira(@mirara_l)です。
ご無沙汰しています。

今日は、やっと少年社中さんの『ピカレスク◆セブン』についてゆっくり感想を書こうと思います。というのも、この家に引っ越してきてようやくBlu-rayを二人でゆっくり見られる環境になってきて、観たんですよ。届いたのはちょっと前なんですけど。

先に『お江戸のキャンディー2』を観たのですが、なんかもうそっちは染谷さんが美しいことしかまだ頭の中に無いので、今度また咀嚼して書けたらいいなと思っています。あと、テレビドラマの『おっさんずラブ』についてもつらつらと書きたいなぁ。まったくこの世の中にはいい作品が溢れているのね。死ねないわ。

 

ひとりひとりのピカレスク◆セブン

 

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少年社中20周年記念第一弾 少年社中×東映 舞台プロジェクト【ピカレスク◆セブン】

 

巷では、色々な感想があったのを目にしました。私の場合、自分の中に全部は取り入れない方がいいと脳が判断したようです。そう、ちょうど職場でセクハラを見聞きしたり受けたりするとき、メディアで男女至上主義のニュースばかり流れているのを見るとき、(おそらくノンケの)男性に女性扱いをされ優しくされるときと一緒。そんなときに“うまく生きていくためにそれらを受け流す力(見ないフリ)”を、この作品を楽しむときにも発揮したような。そんな感じ。

女を好きな女として真正面から観るとアカンやつ。好きな俳優が出演している、戦国時代が絡む少年社中のたったひとつの作品では無くなってしまう。哲学だとか思想だとか、そっちに全部持っていかれてしまう。と。私はそれを回避するために、無意識に自分と作品との間に透明の壁を作ったのだけれど、もちろん自分の全部を使って全身全霊で正面から鑑賞するのも素敵なことだと思う。自分としてどう思ったか、どう感じたかを噛み締めながら帰路につくのも大好きだから、私も。でも、この作品では私は推しにときめき、社中さんの踊りやダンスに、衣装に目を奪われ、ストーリーや役者の演技の熱量に押されて、ギュンギュンしたかった。だから彼らがああ見ていたのと同じ「女」として余計なことは考えないように逃げたのでした。それが私の『ピカレスク◆セブン』。

でも少し救われたのが、Blu-rayを購入したらスペシャルディスクが付いてきて、井俣太良さん・鈴木勝吾さん・宮崎秋人さん・毛利亘宏さんが座談会をしたあと、本編を観ながらわちゃわちゃ話す映像が入っていたんです。そこで鈴木勝吾さんがマクベスとジャックのやりとりについて話していたの。「あのジャックを手篭めにしたであろう描写があって、あれは女性の方から見たらどうなんだろう、それを良しとしたらだめだろうっていう意見があって当然」「でも女ではなくて、ジャックという人にとったら果たしてどうだったんだろうっていう部分を(佃井)皆美ちゃんは背負って演じていた」「正解がなさすぎて、どれだけ演っても正解にたどり着かない」って、2人が相当悩みながら演じていたらしい事実を勝吾くんの口から聞けてよかったです。

 

女という存在への抗い

 

そんなマクベス、すごく女性にコンプレックスを抱いている人という印象を受けました。女を前にして、ああいう言い方や行動でしか自分を守れない、悲しい人でした。「女の股から生まれ」たなんて表現とか、「女にしてやる」発言とか、そういう言葉が全部最後のあの妻とのシーンでボロボロに崩れた。悲しい時代に生きた人。

マクベスが女性の呪縛に囚われずに逃げ切るにはどうだったらよかっただろう。そうだ、ゲイだったらよかったのにね?女の人じゃなくて、男の人とならもしかして対等に上手に生きていかれたかもしれないね。イエミツと一緒だったら、きっと、ずっと「善と悪」を追求しながら生きていけたであろうに。マクベスの死に際の言葉を聞いて、この人がノンケであることを心からかわいそうだと、残念に思いました。

春日局にしてもそう。結局、女がいなければ繁栄し続けることのなかった徳川家。女の前には、男はこんなにも弱い。女性へのリスペクトの仕方が下手くそな男たちが生きていた時代の話でしたね。

たくさんの悪役が出てきて、時代も世界も超えて悪と悪がぶつかり合う。善だと思っていたものが悪で、悪だと思っていたものが善で。でもその中心のメッセージは「頑張れ」だという。まるで少年のときに持っていた夢や世界観が、大きくなった男の人の中にあるのを見せられたような脚本でした。だから『少年社中』?

 

細貝圭さんの演じる織田信長

 

そろそろ、いいかな!!?細貝圭ちゃん演じる織田ノブナガの最高さについて語ってもいいですか?本当に最高にかっこよくて美しくて、パートナーと一緒に悶え死んでた。会場で見たときにも、もちろん圭くんから目が離せなくて困ったのだけど、Blu-rayになったらもっともっと目が離せなくなってて笑ったw

『剣豪将軍 義輝 後編』で織田信長を演じた圭くん。まさかそのまま社中さんの作品で織田ノブナガを演じるなんて。それを知ったときには、なんかよく分からないため息が出たもの。嬉しすぎて。あっちはあっちでものすごく理想の織田信長だったから、社中さんのビジュアルでもまた見られるのかと思ったら高揚して堪らなかった……!

 

赤と黒のマントの衣装、あの黒髪ポニーテール、前髪、そして顔の美人さね……。スペシャルディスクでも、細貝圭という男の美しさをずるい、と男性たちが褒めていて、とても気分がよかったです……。男から見ても、そうよね、綺麗よね。綺麗な人。

ダンスシーンとか、殺陣とか、社中さん特有の世界観の中に、圭くんが演じる織田ノブナガがいるという夢のような時間をこうして円盤にしてくださり、本当にありがとうございます。ああ、もう1回『剣豪将軍 義輝 後編』が観たくなってきた。あっちの信長様とこっちのノブナガ様は、どこかで繋がっていると思うな。どちらも、本当に美しくて綺麗で素敵でした。

個人的に、あの三英傑が一緒に話しているシーンが1番グッときた。「ノブナガ殿に憧れとった」と、トクガワイエヤス役の大高洋夫さんのビジュアルで言うのがもうジンときませんか。信長が人生でいちばんぶっ飛ばしてたときと、老衰した家康との対比は、やっぱりわざとだったんですね。あなたたち2人がいたから私はここまで来れたという、そう言ってしまえる家康らしさは、家康をリスペクトしている三河の人だからこそ書けるんだろうなと。

そうそう、この作品、鯛ちゃんと唐橋さんの絡みが息ぴったりすぎて、『最遊記歌劇伝』と社中さんの『ネバーランド』が観たくなりました。観た人にしか分からない小ネタとかあったらしいですね?ああ、こうして観たい作品が増えていく。ああ、なんだか『三人どころじゃない吉三』のハッピーエンドが観たくなっちゃったな。

 

ピカレスク◆セブン [Blu-ray]

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結婚があなたの幸せでしかありませんように

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こんにちは。mira(@mirara_l)です。お久しぶりです。毎回最初がお久しぶりのご挨拶になってしまっていますね。

 

この度、妹が結婚しました。

 

sultrynight.hatenablog.com

 

思うところがたくさんありました。嬉しかったです。寂しかったです。楽しかったです。切なかったです。幸せでした。悲しかったです。色々な感情が渦巻きすぎて、大好きな手書きの日記にも書けず、もちろんプライベートの日記帳のようなここにすら、すぐには書けませんでした。

(こんなことにもちろん、だなんて使いたくないけれど)もちろん、パートナーは長女の嫁としての出席はできませんでした。でも現実、あの祝宴の席に座っていたら思います。とてもこの社会じゃ、この親族の前には無理だと。「男女」のお家同士の結びつきをこんなにも大事にしている両家の前に、私は小さな子どものような気持ちで、ただ「無理だ」と呟きました。「私とパートナーと、この人たちは全く関係がない」と言い聞かせなければというか。別の世界に住む人たちだと改めて実感するようで、寂しかったです。

私の妹はとても綺麗でした。すごく、すごく、綺麗でした。ずっと一緒だった大好きな妹が、途中からふっと出てきた、私の人生にはいなかった男の人の隣で「妻」と紹介されています。自慢の妹だから、どうかどうか大事にしてくださいと伝えました。それでもふざけたように、おどけたように伝えるのが精一杯でした。妹を大事にする気持ちを真剣に伝えたなら、一緒に過ごしてきた時間のことを走馬灯のように思い出して、すぐにでも泣き出してしまいそうだったから。

 

ハレテフウフニナレテヨカッタ

 

私とパートナーとの関係をあれから一切口に出さないで、聞かなかったことにでもしているような父親は、妹がいない帰りの車の中で彼女が「妻」と紹介された瞬間のことを思い出し、「晴れて夫婦になれてよかった」と泣いていました。私はそれを聞いた瞬間、別の意味でたくさん泣きました。涙を出さずに、心で泣くことには慣れています。

きっと一生、私にはもらえない言葉でした。「ハレテフウフニナレテヨカッタ」。素敵な響きでした。私も父親からそんな風に言ってもらいたい人生でした。きっと死ぬ間際には、ウェディングドレスを着せてもらいたい。そして法的には何の効力もないけど、それでもいいから私たち2人の婚姻届を書かせてもらいたい。

 

新婚への憧れ

 

いつの間にか熟年ふうふになってしまいます。結婚ができないのに、ふうふとしての形だけは日々熟していく。たとえこの先、法律婚ができる未来が日本にやってきたとしても、俗に言う『新婚生活』という言葉を、私たちが結婚できていたとしたなら新婚であるいま、まだ若いうちに使うことが叶いませんでした。まだまだ差別・偏見が蔓延るこの社会に私たちの『新婚生活』を奪われている真っ最中です。

そんな新婚時代であるはずのいま、一緒に暮らしている楽しいことや大変なことを会社に公表もできていないので、職場の人間からは、なぜか実家になかなか帰らない、ふわふわした宙ぶらりんな一人暮らしの娘として扱われます。私は家族の中だけでなく、社会からも家庭をもった一人の女性、とは見てもらえません。男性と結婚をしていないから、まだまだ情けない娘として扱われるのです。

同じ年代の人が男女関係なく、結婚していると一人前として扱われるのを見て、本当に仄暗い気持ちになるのです。「たまには実家に顔だけでも見せてあげたら?」という言葉。結婚して家庭をもつ女だったとしたら果たしてそう簡単に出るものでしょうか。

こういうことが積み重なって、私たち性的少数者は疲れていきます。少しのダメージに見えても、どうすることもできない苦しみは、私たちの心や精神をえぐっていきます。逆に誰かが少しでもこちら側の気持ちを想像してくれたら、それだけで救われます。

だから結婚が決まったときに妹に言われた、「本当は○○ちゃん(私のパートナー)も呼びたかった、ごめんね。お姉の結婚式には呼んでね」という言葉だけで、私は前を向いてパートナーとの人生を歩むことができるのです。
 

sultrynight.hatenablog.com

 

昔から母親に言われていた「女の子らしくしなさい」「女なんだから」という言葉は、私の向こうに男の人を想像した言葉でした。だから素直に受けることができませんでした。私は女の人のために女らしくしていたい。それを知っているのは妹だけかもしれません。

最後にくれた手紙のせいで、結局泣いてしまったけど、そこには「どんなことがあってもお姉は私のお姉だよ」と書いてくれていました。カミングアウトしたその日も、その前も、その後も、何も変わらないでいてくれているのは、結局妹のあなたたちだけだよ。本当に優しくて気遣いができる、でも色々なことを考えすぎてしまう内弁慶でかわいい次女。私にはもう一人妹がいるけれど、同じように愛している。大事な妹たち。どうか幸せになって。

もう籍からは抜けて名前が変わってしまった。これから別々の人生を進むことになるけれど、ずっとずっと仲良くしようね。私もパートナーとの人生を選んで、幸せです。これからのお互いの人生が、きっと良いものであり続けますように。

結婚、おめでとう。

自由と不自由を行き来する

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先日、祖母に出張のお土産を届けるために出かけた。
21時。夕食を終えて、テレビを見ながら過ごしているプライベートな時間かもしれないと、少し遠慮がちに門を開いた。いくら親戚の家でも18時を過ぎると人の贅沢な時間を邪魔してしまうようで、怯んだ気持ちになるのは昔から変わらない。

訪ねると、祖母と一緒に暮らしている叔父が出てきた。
こんな時間に誰も訪ねてくるはずがないと言わんばかりの、家用の格好で。白いタンクトップに、トランクス。この人にとって、私はいつまでも小さな姪なのだろうか。下着姿を見られても、一向に構わないといった雰囲気をまとったまま、特徴であるどこかぼんやりとした表情で歓迎し、私が用事があると言うと祖母を呼びに行ってくれた。

いつもここで、帰りたいと思ってしまう。

毎年、祖母の老いを実感しに行っているようなものだからだ。
私が大好きだだった、弱いフリをして本当は強い意志を持って生きているおばあちゃん。背筋が真っ直ぐで、眼鏡が上品でかっこよく、私のすることをなんでもかんでも無条件に褒めてくれるおばあちゃん。私にとってはたった一人のおばあちゃんで、いつでも味方でいてくれるのだと信じて疑わなかった。大人になって、私たち孫にどんな期待を持っているのか、両親たちとはどんな関係にあるかを知ってしまっても、やはり結局私は彼女の孫であり、いつまでも強くてかっこいいおばあちゃんでいてほしいのだ。

出てきたのは、叔父の声に就寝の邪魔をされてしまった弱々しい祖母の姿。
寝入りばなを起こされたばっかりに、めがねをかけるのも忘れてしょぼしょぼの目で光を遮るように瞬きをして階段から降りてこようとするところだった。起こしてしまった原因は私であると気付いたとき、時を巻き戻したくなった。

なんでこんな時間に訪ねてしまったのだろう。

白内障緑内障を併発しており、ほとんど目が見えなくなっている。そんな祖母が、なぜ階段から降りてこようとするの?今までは1階の畳の部屋で眠っていたのに。階段から落ちたらどうするの?誰がおばあちゃんを2階の洋室に押し込んだの?今にも落ちてしまいそうな足取りを見て、毎日どんな風に上り降りしているんだろうと、心臓が不安でドキドキしたまま、私から素早く階段の1番上まで迎えにいった。

結局その階段の踊り場でお土産を渡したけど、寝起きすぎて反応が上手くいかない様子に、本当に申し訳ない気持ちになった。私が家を出たことを、知らない祖母。こんなに近くに住んでいるのに、毎年お正月とお盆、そして私がこのお土産を持ってくる時にしか顔を見せなくてごめんなさい。もういい加減、結婚の話を出さずにはいられない年齢になってしまったんだなぁと、寝言のように良い出会いを促す祖母の表情を見ながら思う。祖母の目には、私のこの表情はどう映っているのだろう。病気のせいでほとんど見えないばかりか、ものが二重になって見えると言っていた。小さい頃の私のままの表情を脳内であてはめながら孫の結婚の心配をしてくれているのだろうか。

私が今の仕事の説明をするには、遠すぎると思った。
結局、帰りには階段をおぼつかない足取りで降りていき、かばんの中から財布を取り出して千円を私に握らせた。そうすることしか知らないみたいに。そのお小遣いを、どんな顔をして受け取ればいいのか分からなかった。30代でも孫は孫?それともやっぱり、さっき歳を聞いたくせに私は10歳ぐらいで成長が止まっているのだろうか。祖母の中に生きる私は10代だったり30代だったり、そのときそのときで変わるらしく、それに合わせた感情で接することが、なんとも子どもじみた気持ちにさせられた。こうやって大人に合わせてこの家で過ごしてきた。今は自由を手にした大人だというのに、この場所にくるだけでこんなにも不自由になる。

私を寝間着姿で外まで送り、庭の街灯までつけてくれた祖母。また家の中に戻って、このあと果たしてまた眠れるのだろうか。階段を、落ちずに上れるのだろうか。私がお土産に渡したお菓子は、いつどんな風に食べられるのだろうか。私は自由になったから、知ろうとしなくていいのだ。きっと。