熱帯夜

女として女に愛され愛したい

カミングアウトとアウティングが今日もどこかであなたの大切な人の死を招いてしまうから

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「もったいない、かわいいのに」

 

きっと今もどこかで言われているんだろう、と思う。「もったいない、かわいいのに」。私の母親だって、今でさえ言わなくなった(からと言って思っていないとは限らない)けれど、カミングアウトをしてからしばらくは、そう言って嘆いていた。異性愛者の人たちは、異性愛者の人たちのモノサシでしか恋愛の幸福度を測れないんだと思う。

私が私自身をレズビアンなんだと認められたとき、その瞬間に、もしこの先カミングアウトをすることがあったらその人たちから「もったいない、かわいいのに」と言われるレズビアンになろう、と決めた。いま思えば、自覚したばかりの女子大生に、なんて悲しい決意をさせてくれたんでしょうね。この世の中は。男性と付き合えないこと、男性と結婚ができないことはかわいそうだと思う人が多いらしいことを知っていた。また、人並みに容姿に気を配っていれば、同性愛者であることをもったいないと思う人が多いらしいことを知っていた。

だからレズビアンの私が異性愛者の恋愛のモノサシに合わせようとしていたのです。「ブスだから女に走った」と言われないように。

でもいまの私の中では「もったいない、かわいいのに」=「ブスだから女に走った」の公式が確かなものとなりました。異性愛者の人たちが口を揃えて私に言ってくれる「もったいない、かわいいのに」は結局、男性と一緒になれなくてかわいそうという、異性愛者の恋愛の幸福度モノサシで測られていることに変わりありません。だから私にとってはその言葉たちの「かわいい」も「ブス」も一緒に聞こえるようになりました。

それがそのうち年齢を重ねていくと「きれいなのに、なんで結婚しないんだろう」と噂をされるようになる。または「売れ残ったな」と。それってどちらも同じ意味でしょう、やっぱり。一生続くんだ、これ。絶望でしかないね。

 

アウティングについて

 

アウティングはゲイやレズビアン、バイセクシャル、 トランスジェンダー(LGBT)などに対して、本人の了解を得ずに、公にしていない性的指向や性同一性等の秘密を暴露する行動のこと。(Wikipedia)

 

正直、アウティングなんてそこら中にあると思う。誤解を恐れずに言うと、何かとても重大なことで、自分だけでは処理しきれないことを隠しておけない気持ちは、私にもある。誰かと、この話を共有したい、誰かに話したい。話さないと今後の会話が成り立たない。そんな経験があるのは、おそらく私だけではないのではないかしら。言葉を話す人間なら、その葛藤に悩んだことがあるのではないでしょうか。

でもアウティングは、人を死に追いやることがある。秘密の共有では終わらない。性的指向が異性愛者のモノサシで測られる世の中だから。私たちは人を選んで死に物狂いでカミングアウトをしています。言葉通り、死に物狂いであの大学生もカミングアウトをしたのでしょう。本当に死んでしまった。アウティングに殺された。同じ当事者として、本当に胸が痛い事件でした。

私のアウティングが行われていることも、なんとなく気が付いています。当事者の方ならば、そのなんとなくっていう感覚、分かってくれるかしら。気付いているからって、それを許容しているわけではない。許せない。でも仕方ないと言い聞かせなければならない。

だからせめて、私自身に、私の性的指向を周りにバラしてしまったという事実は、伝えないでほしいと思うわけです。第三者の気持ちは、私が直接カミングアウトをした人の気持ち以上に予測ができない。怖いものです。かわいそうだと思われることが。世界に目を向ければ、同性を愛することで死刑になる国もまだまだあるわけです。どこでどうやって私の噂話が繋がっていくのかを想像すると、何か言われる前に、傷つけられる前に、死にたくなります。

この日本で、アウティングを禁止する法律がないことが不安でたまりません。同性でも結婚するかどうかを平等に選ぶことができる権利は一刻も早く欲しいです。でもやっぱり差別やアウティングによる個人の死が、これ以上増えないように制度を整えていくことも大事だと思います。

 

www.huffingtonpost.jp

忘年会という地獄に向かう

忘年会・新年会シーズン。本当に憂鬱です。お酒は大好き、美味しいご飯も、楽しい雰囲気も好き。じゃあなんで憂鬱なのか?それは、最終的に必ず人生の話、家庭の話、恋人の有無、そんな話になるからです。それを想像すると、出掛ける前から溜息しか出なくなる。まだ現実にはなっていないけれど、でも確実に迫り来るその時を考えることがすでにストレスになり、「ああ、やっぱりQOLが低いよなぁ……日本で生きる同性愛者って……」って思うのです。

 

いいなぁ……。一度でいいから忘年会や新年会を心から楽しんでみたかった。もっと言えば、社会人として生きる人生を心から楽しんでみたかった。

 

私はいつも“ここに馴染んではいけない”とバリアを張って生きている感覚があるんです。だってその場所やその人に馴染んでしまうと、いずれカミングアウト無しでは苦しくなってしまうから。馴染んでいなくても自分の生活を隠していることがめんどくさくて苦しいのに、それが馴染んでしまった場所や人ならどれだけ苦しいだろう。例えば家族に対して、ずっとずっとそうだった。

 

仕事を変えれば、地域を変えれば少しはマシなのかもしれない。でも、それが頭をかすめる度に思うの。どうして他の人がしない選択を、私が同性愛者だからってしなければならないの?

 

私はこの仕事が好きなんです。プレッシャーは常にあるけれど、憧れの職業だった。地元でお世話になった方たちと同じ土俵で仕事をするために、何度失敗しても挑戦して勝ち取った仕事。やりがいがある。毎日違う子どもたちを、養い護ることは本当に楽しい。

 

なのに。私が同性愛者というだけで、一気に疎外され、ひとりぼっちになったような悲しい気持ちになります。多数の常識が何がなんでも正しい世界。同じ業界で働いているレズビアンやゲイの人とは一生友達になれないんだろうな。だって隠さなければ、異性愛者として無難に過ごさなければ生き残れない世界だから。だから隣にいるかもしれない仲間がどうやったって分からない。

 

どうやって多様性を教えていけばいいのかしら。大人の私自身が隠し事だらけで押しつぶされているのに。こんな責任重大な仕事を選んでしまったことを後悔しそうになる。でもなんとか働き続けるうちに、この業界にも変化があるのではないかと小さな期待を抱くけれど、例えば私のルームシェアを不思議に思う人に不意にしつこく質問されたりすると、もうその場から逃げ出したくて堪らなくなる。教育業界とはそういう世界です。

 

今日もまた、忘年会。研修会で奇跡的に親しくなることができた友人数人と。嘘ばかりで塗り固めた苦しい忘年会。あの時、居心地がいいけどもうきっと二度と会うことはないだろうと、パートナーのことを男性に置き換えて話してしまった。私はもう、その架空の男の人の年齢も職業も、出会った経緯も全てみんな忘れてしまった。きっと彼女たちは覚えていて、笑顔で話を振ってくれるに違いない。一瞬固まる自分の笑顔を想像しながら重い足取りで待ち合わせ場所に向かいます。

同性カップルとして生きていく人生のハードモードさ(2018.12現在)

 

 

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こんにちは。mira(@mirara_l)です。

 

今日は、同性カップルが想定されていないことで困った事例を紹介します。

 

私は普段、学校で働いています。職種は……身バレが怖いので、正式名称は避けますね。Twitterを覗いてくださっている方なら、うすうす気付かれている方もいるのかもしれません。この業界ではクローゼットでないと働くことが難しいんです。

 

互助会の勧誘

 

ある日、互助会、という会員同士が助け合うシステムの勧誘があったんです。月々の掛金を一定期間払うことで冠婚葬祭の儀式や医療費補助などのサービスが受けられるという。一般的な会社にもこういうのってあるんですか?詳しくないので全然分かりませんが。

 

私の年齢でしか入ることのできない互助会がつい先日、担当者から勧められ、家でパートナーと相談していました。

 

働いている間に掛金を払い終えることができて、退職した後は、通院したときの医療費の補助が一生涯続くというもの。うん、コレ、いいんじゃない?冠婚葬祭は関係ないけど。と軽く考えていたんですが、この一文が私の考えを変えました。

 

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▲「掛金は2人分なので、配偶者も加入でき、同じ特典を受けることができます」

 

………???

 

???でしかない。なんで互助会に入る前から結婚する、または結婚している前提の掛金を用意させるわけ?こんなもん、名前を『結婚する予定のある人、または結婚している人のための互助会(異性愛者限定)』に改名した方がいいんと違いますかね。分かりやすんいじゃないですか、その方が。

 

制度の地獄さ

 

これを見た瞬間に、「ああ、これもまた私たちがいつも苦しめられる"配偶者"地獄だ……」と、パンフレットをそっ閉じして、見ないことにしました。

 

同性愛者が多数派の世界だったら、「配偶者」も「扶養」も、人よっては「事実婚」も、結婚制度に関わる何もかもに、特に気をとめることもなくその恩恵を2人で受けていたんだろうなあ。あなたたちと変わらないのに……と呟く誰かに、「これは制度で決まってるから仕方ないでしょ」なんて、言葉のナイフを投げていたんだろうか。

 

結婚に始まり医療費や家のローン、年金、お葬式など、幸せを分かち合いながら生活して、そして同じように老いて死んでいくところまで、同性同士というだけで2人での生活が全く保障されていないんです。今回は、たまたま互助会という組織の制度だったけど、結婚や年金、そして医療費関係などの日本政府が行なっている制度ですら同性カップルは保障の対象外だなんて、国による差別であり『人権侵害』だ。

 

何回だって声を上げよう。だって毎日毎日毎日毎日どこかで困ってる。生活を共にしていくと決めた大切なパートナーとの日々を「苦しい」だなんて言いたくない。私だって「ああ、結婚してよかったね、幸せだね」って言いたいよ。

 

法務省:第70回 人権週間 平成30年12月4日(火)~10日(月)

 

12月4日〜10日までは人権週間です。私たちLGBTに、まだまだ人権はありません(2018.12現在)。悲しいです。

 

sultrynight.hatenablog.com

 

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