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熱帯夜

男も女も犬も子どももいる世界で過ごす、私、miraの物語。

本当に怖いものの正体

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こんにちは。mira(@mirara_l)です。


早速ですが質問です。みなさんには、「なんとなく嫌なもの」ってありますか?“嫌”というところがポイントで、“苦手”とは違うものです。ただ単純に、“嫌”なもの。わたしはそうだなぁ……「数学」「鳥」「小さな点の集合体」、とかが思いつく“嫌”なもの。生理的に無理なものと言い換えてもいい。

そしてもう1つ重要なのは、ものすごく心の底から嫌というよりも、“なんとなく”という点。自分は心の底から嫌悪しているのに、世の中から無くなったら困ると分かっているもの。わたしに近寄らなければ、まぁ存在ぐらいは許す、なんて自分のモノサシで判断してしまうもの。

 

「なんとなく嫌なもの」

 

ここで声を大にして言っておきます。わたしは政治のことはよく分かりません。まだまだ勉強不足な大人です。よく分かりません、なんてこの歳で言ってるのは恥ずかしいことだというのも重々承知。ただ言い訳すれば今までの人生、自分のセクシャリティと向き合い、考えることでいっぱいいっぱいだった。だからセクシャリティ以外のことを吸収しようと、大人になった今、必死なわけです。無い知識でわたしなりに考えた独り言として読んでいただければ幸いです。最初からこのように逃げ腰であることからも、お理解りでしょう。本当に、まだ勉強中なのです。


トランプさんが、アメリカの次期大統領に選出されました。多くの日本人は、自分の国の総理大臣が決まるときよりも、関心を持ってこのニュースを観ていたような気がします。世の中の雰囲気、匂い、SNSでもこの話題は持ちきりで、自分の考えをしっかりと持った米国の方たちの一喜一憂を、わたし自身は羨ましく思いました。思想の自由、言論の自由、信仰の自由。美しい自由の女神様がいるアメリカには、これまでに様々な自由を勝ち取るために戦ってきた人たちがいて、今でも新たな自由を求めて声を上げる人がいる。かっこいいなぁ、って。アメリカ人の選挙は「決める」。日本人の選挙は「決まる」。勝手なイメージです。

先程引用した、上記のツイートは、今日、インターネット上で見つけたニュースです。いまさら、マスコミの報道が正確かどうかは分かりませんが、記事を読む限りトランプさんは、

  • 同性婚が合法化されている状況を覆す気はない
  • マイノリティーに対する嫌がらせや脅しが増えている状況を知って悲しんでいる

と言っていることが分かりました。しかし、わたしがこのブログ記事を書こうと思い至ったのは、そこではありません。

 

トランプ氏のテレビインタビューは当選後初めて。その中で「結婚の平等を支持するか」と問われると、「それは法律だ。最高裁で結論が出ている。決着済みだということだ」と回答。「それ(同性婚は合法)で構わないと思う」と続けた。

同性婚は法律で決まっている、から。もう結婚の平等という概念に対する自分自身の考えを唱える時代は終わった、と、とれるようなメッセージ。

ああ……そういうことか。そういうことか。と思いました。わたしがいつも怖がっているのはコレなんだ。日本で同性婚できるようになったとしても、「支持できる?」「まぁ、法律で決まってるんだしね……」というやり取り。同性愛に嫌悪感を持っていたとしても、同性婚に反対だったとしても、法律で決まっているならそれに従うしかないだろう、という諦めにも似た感情は、人々のカラダの中でどう化けていくのだろう。

 

「早く結婚できる未来が来るといいね」

 

そう言ってくれる友人は、本当に女同士で結婚できる、と法律で明確になったら、どんな反応をするんだろう。果たしてわたしたちは心から祝福されるんだろうか。もしかしてトランプさんのインタビューと同じことを思うんじゃないだろうか?こんな不安が、世界中のLGBTの心の中にあるような気がしてなりません。次期大統領からの「自分の政権を怖がらないで」というメッセージは、アメリカにいる仲間の心にどのように響いているんだろうか。


なんとなく嫌なものは、誰にもあると思う。それが無ければ生きていけない人がいるのは分かっている。それによって人生に希望を見い出し、それを大切にしている人たちがいる。その現実までなら受け入れられる。でも根本的にはどうも受け付けない。数学を好きな人、鳥を好きな人、集合体に魅せられている人、いろんな人が生きている。

正直、差別とか偏見とかよりも、もっと根深くて怖いものは、「なんとなく嫌」ぐらいの感覚だと思う。すごく嫌いというほどではないから、それ以上知ろうともしないし、関わろうともしない。そこに在ることが決まっていれば、存在ぐらいは受け入れる。近寄らなければいい。

その感覚って、それを好きな人からしたらものすごく寂しい。一生懸命、自分の好きなものの良いところを説明してみるけど、相手にとっては、「なんとなく嫌」な話題だから頭に入ってこない。入れる気がない。入れる気がない人にその正しさを、素晴らしさを順番に話すのはパワーがいるし、自分が虚しくなるだけだからやめる。

同性愛者はその繰り返しの中を生きている。カムアウトしたあとこそ戦いで、こんな風に虚しくなっては夜を乗り越えてきた。多くの異性愛者の人の心の中にある、同性愛「なんとなく嫌」が見えると、悲しい現実に負けそうになることがある。少なくともわたしは。

 

鳥が好きなパートナー

 

わたしのhoneyは鳥が好きなの。それでもわたしは全く触れないし苦手で怖いことに変わりはないけれど、鳥を愛する人のことは悪く思わなくなった。鳥を愛する人たちにとって、鳥は天使のように可愛らしくて、キスしたい存在であることが分かった。これは、たまたまわたしが「なんとなく嫌」だった鳥のことを愛する恋人に巡り合えたからだ。

周りに当事者がいるというのは、自分が知らなかった分野、物事を理解したり受け入れたりするに最適の環境なんだよね。そしてそこには愛がないと駄目なのよね。偏見、差別、なんとなく嫌、そんな負の連鎖を断ち切るには、知識と想像力、それから当事者と接してみる経験に限ると思う。せっかく感情を持った人間に生まれたんだから、いいきもちを感じていたい。人を妬んだり、比べたりせず、目の前の幸せに満足して生きたい。隣にいてくれる、honeyはそんなことを思わせてくれます。昨日が9年記念日でした。これからもよろしくね。

今回は、男も女も犬も子どももいる世界の片隅で、とあるレズビアンがアメリカ大統領選挙から考えた内向的な独り言でした。