前回の記事で書いた『感情の共有』について。早速昨日、パートナーとそれを行うことになりました。仕事でとても悔しい出来事があったんです。これを家族に話したら、きっと見当違いな“意見”しかもらえない。
honeyに話そうと思った瞬間に、話す前からあの子の話の聞き方を思い出して、受け止めてもらえるような気がして泣いてしまう。これも、今までわたしたちがたくさんの『感情の共有』なるものを行ってきたからだと思う。
内容はとてもプライベートなものだからふたりの秘密にするとして、今日は話の聞き方について思うところを書いてみます。
1番簡単に見えて、1番難しいこと
結局さ、わたしがhoneyに話を聞いてもらって心が軽くなったのって、「悔しいね」「むかつくね」っていうわたしの気持ちをそっくりそのまま受け止めてもらえたからだと思う。自然にそういうことができるhoneyのことをわたしは心から尊敬しています。誰かの話を聞くときに、傾聴が大事、とか共感をしなければならない、とかよく言われるけれど、結構それって難しくて。話を聞く、という簡単な行動の中に悲しいかな自分の意見や思いって必ず出てくるんですよね。カウンセリングの勉強をかじったわたしでさえ、その衝動を抑えるのは難しい。
話を聞いていると、『何かいいアドバイスをして救わなければ……』とか、『相手が困ってる、悲しがってるんだから励まさなきゃ……』とかいう思いって出てきませんか?わたしは出てきちゃう。でも昨日、honeyに全て受け止めてもらって分かった、というかいつも話を聞いてもらう度に思うのだけど、そういうときって、“話を聞いてもらうだけでいい”ということ。そう言うととても聞こえが悪いかもしれないけど、結局それで満たされてしまうんですよね、人間って。
年下のパートナーから学びながら
実際にはわたしの仕事に必要なスキルですが、自分自身そうしてもらって初めてこれが『感情の共有』なんだなぁ…と改めて知るわけです。こんな風にわたしもhoneyのことを支えていきたい。1番の味方になって、真剣に話を聞いて一緒に悔しがったり怒ったり。そして嬉しがったり。それがやっぱり一緒に生きていくということ、だよなー……なんて呟きでした。
もちろん相手がアドバイスを求めている場合もある、意見が欲しいときだってある。そういうときは相手の感情に寄り添って、一緒に解決策を考えていけるような余裕が欲しいですね。いい歳ですからね。ははは。