熱帯夜

女として女に愛され愛したい

個人情報とは?同僚に勝手に見られた私の死亡保険金受取人欄

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こんにちは、mira(@mirara_l)です。

最近は繁忙期が落ち着いてきていますが、でもやっぱり事後措置とか6月の大仕事が大詰めで、時間的にも気持ち的にも余裕がありません。だけど、ブログを書く。文章で気持ちを表すことは精神安定剤の一つだから。ちょうどパートナーもお休みで愛犬とお昼寝してるし。

久し振りのブログ記事なのに、また愚痴というか最近嫌だったことについてなんだけど。いやもう本当に本当に信じられないというか、そういうのが許されるこの教育業界どうかしてるなって。うちだけなんかな?

会社の福利厚生とか組合とかで、任意の保険に入れることってないですか?この間、いろいろな事情で1件保険に加入することになったんです。そこで死亡保険金の受取人をパートナーにしておいたんですね。同居人として。事実婚の男女カップルたちと変わらん生活を送っているし、いざとなったらその保険会社の人にもそう説明しようと思って。

でもその用紙の提出先が同僚なんさ。組合のものだから、代表者がまとめて提出するの。その代表者が定年間際の人でさ、学校の番号が分からないと若い男性教師から質問があった際に、私の用紙を一緒に覗き込んで確認しているの!(怒)ありえなくない!?

住所も、生年月日も、どんなコースに加入するかも、もちろん死亡保険金の受取人が同じ住所に住んでいる女性の同居人に支払われる契約をしたいと申請したことも全部を見られてる。私が必死の思いで書いた申込書を、ただの同僚の男性2人にじろじろと覗き込まれている図。地獄。もちろん仕事場ではクローゼットレズビアンとして過ごしていますので、きっと2人の頭の中には「???」が浮かんでいることでしょう。もしかしたら、同性愛者なのか?という考えも浮かんだかもしれませんね。ねえ、もう、最低。

そこで「なんで人の勝手に見るんですか!」「ありえないでしょ!」とかはとてもじゃないけど言えませんでした。気づかないふりをして、心臓をうるさく鳴らしていることしかできなかった。だってそんなことで怒ってきたら、やましいことが書いてあるような空気になっちゃうでしょ。別に全然やましくないのに。

これが男性と結婚している状態だったらどうですか。別に見られたって何もハラハラしないわ。配偶者に死亡保険金が支払われる手続きをして何が悪い。と堂々としていられる。相手が女性で、結婚したくてもできない状態だからこそ、こういうときに少しでもお金を残したいと思っているのに、現実ではこんなんなんさ。

あの2人が、後でコソコソ話しているんじゃないかとか、いつか私のプライベートについて試すように質問されるんじゃないかとか、ほんとあの後の数日間は死んだような気持ちだったし、今でもその瞬間を思い出すと本当に死にたくなる。ここから居なくなりたい。

それから、こういう個人情報を勝手に見せられたことへの怒りや、屈辱的な気持ちを、どこにぶつけたらいいのか、どこに訴えたら助けてくれるのかが分からなくて悶々と考えていた。悲しくて悲しくて、怒れて怒れて、でも同性愛者であることを隠している状況だから、悲しむことも怒ることも許されない感じがして、本当に辛かった。

年を取っていて男女のあれやこれやが大好きなおじさん、おじいさん、おばさん、おばあさん、若くても昔気質な考えを持っている人が多いというこの業界。せっかく手には入れたけれど、最早なんとかして抜け出したい。この仕事は好きだけれど、でも自分の全てをさらけ出さなければ通用しない業界。辛いなあ。

【映画感想】LGBTをテーマにした短編映画『カランコエの花』のDVDを観ました(ネタバレあり)

こんにちは、mira(@mirara_l)です。今日は先日パートナーと一緒に鑑賞した映画『カランコエの花』の感想を綴りたいと思います。

制作された頃からずっと気になってはいたのですが、DVDになってレンタルが始まるとSNSで知ったので、当日にレンタルショップを2件回ってやっと見つけました。1件目のところは、行ったらもう既にレンタルされていたの。

 

 

もう観てから随分経ってしまったのですが、この作品の感想は残しておきたくて。当事者として見ると、とてもありがちなんだけど、でも、私がもし当事者じゃなかったら……とか、ああ、当事者の周りの人たちって、こんな感情で居るんだ……というような再確認ができたような気がします。つまり、この映画のメインは当事者の心の動きではなく、周りの感情にフォーカスしたものでした。

※ ここからネタバレあり

 

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桜の季節

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私のおじいちゃんが死んだのは、ぽかぽかした空気が気持ちの良い、ちょうど今日のような桜の季節だった。天国にいく前、この世での最期の言葉に「きいろい、ちょうちょが……」と言って旅立っていったらしいことを、母から教えてもらったことを覚えている。そのあとすぐに、従姉妹のYちゃんがこの世に誕生して、小さい私はもっと小さい妹と「おじいちゃんの生まれ変わりなのかな」と真剣に話していた。

でもYちゃんではなくて、実は黄色いちょうちょがおじいちゃんだったのだと思う経験が良くある。大人になってから、それを妹に話すと「私も!私も落ち込んでるときとか、気持ちが焦っているときに、春じゃないのに黄色いちょうちょが飛んでくるときがある」と、他の人が聞いたら怖いことを教えてくれた。

私たちの味方の黄色いちょうちょ。あれはきっと、おじいちゃんなのだと思っている。今でも本気で思っている。

私が引っ越した先の自宅の近くの病院で亡くなったことを今日聞いた。いつも通るあの道にある、桜でいっぱいのあの病院で、おじいちゃんが死んだなんて。そんなの全然知らなかったこと、そして知らないのに、何の導きかこんなに近くに越してきたこと。今日もその病院を横目に見ながら車を走らせ、その事実にちょっと胸が苦しくなった。

もう一度、あのゴツゴツで汚い太い指で壊れ物に触るみたいに孫の私に触れて、膝の上に乗せて笑ってほしい。突然、おじいちゃんが恋しくなった。

毎日「行ってきます」「ただいま」と言っていた実家を出て1年になる。引っ越しを決めたのは、『他の誰でもない自分の人生を生きたい』と思ったからだけど、それでも一つ守りたかったことがある。それは桜の季節の引っ越しは避けたいということ。

おじいちゃんが病室から見ていた満開の桜。それを眺める息子。おじいちゃんの息子である私のパパは、「桜の季節が、ちょっと苦手なんだ」と目に涙を溜めながら話してくれたことがある。どうしても自分の父親が死んだあの日を思い出すからだと。

私はその話を聞いたときに「桜が満開の季節に引っ越すことだけは、絶対にやめよう」と決めた。もうパパにこんなに悲しい顔をしてほしくないから。あんなにきれいな桜を、これ以上寂しいイメージで見てほしくないから。世間でも『春は別れの季節』というけれど、彼にとっても父親と娘が満開の桜の花びらに隠されるように居なくなった別れの季節。新たな出会いも喜びも何もないままにさせてしまうのは嫌だった。

そんな季節に、妹のお腹の中には新しい命が宿っている。季節は巡る。いつか春がパパにとって幸せで涙する季節になりますように。気付けば、あの頃のおじいちゃんと一緒になってしまったゴツゴツで汚い太い指。壊れ物に触るみたいに、その指であたたかい孫の命に触れる彼の優しい笑顔が見れますように。

私は、春が好きだ。