熱帯夜

女として女に愛され愛したい

2017年のご挨拶

新年、あけましておめでとうございます。

2016年の振り返りはしませんでした!PDCAサイクルが本当に苦手なわたし。とほほ。頭の中では1年の出来事が頭の中で踊っているのですが、それを順に説明したりすることができないので、もっと文房具を活用しよう!せっかく好きなんだし。

 

今年の目標!

 

目標を立てることは、好きなんです。立てるだけで終わらないように、これまたこうして記しておこう。行動しなきゃ意味がないですから。今年の目標は……!

 

『変化を恐れず、立ち向かう』

 

今までは、変わらないことを良しとしたり、幼いころのトラウマのような記憶に縛られて反発したいのにできない、といったジレンマを抱えて過ごしてきました。しかし、今年は年齢的な節目もあるしね、自分の行動が、考え方が、人間性が、『変わること』に意味を見い出して前を向いて歩いていきたいと思います。

ちなみに、去年の目標は『アウトプットをしっかりする』と『基本的生活習慣をしっかりする』でした。両方どうかな?できてたかな?ブログをちゃんと始めたのも、去年のこの時期ぐらいからだったかな。某ブログから、はてなさんにお引っ越しをしてきて自分の感覚にすごくぴったりで今まで続けられています。

読んだ本の紹介、観に行った舞台で感じたこと、新しい文房具に出会ったときのときめき、自分がレズビアンとして生きる上での頭の中の状態。うん、アウトプットは上出来だと思います。アウトプットすることで、少しずつ自分の考え方が固まってきたような、なんだか頭がすっきりするような感覚になって心地よかったです。

生活習慣は、う〜ん……、まあまあ。8時間眠ることが、あまり無くなったのがもう若くない証拠かなと思うから怖いんだけど、でも朝に目が覚める、というのはとても幸せなことだと思っています。朝日が昇ったら起きて、月明かりのしたで眠る。これができていたから上出来ですね。仕事を続けるというのは、そんな理想の生活習慣に欠かせないものだな、って改めて思っています。

 

変化を受け入れるためにしたいこと

 

やっぱり自分と向き合う時間を増やすことが1番だと思うんです。だから手書きの日記をつけることを決めました。

 

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何年か前に、honeyにいただいたものなのですが、このよく見慣れたダミエ柄には自分はまだ釣り合うような大人になりきれていないだろう、と大事に大事にしまってありました。やっと持っていてもしっくりくる年齢になったような気がして、今年からは手帳で予定を管理し、そこに毎日あったことを記していきたいと思います。

ジブン手帳や、ほぼ日手帳などなど、ロフトの手帳コーナーでだいぶ迷いはしたのですが、やはり頭の中に浮かんでくるのは、このアジェンダPMだったのです。確かに6穴のミニサイズではあるものの、手のひらサイズでわたしにしたらちょうどいいサイズ。1日タイプのものだとネタ切れになったときに余白が気になるんです、きっと。でも、ほぼ日手帳のコーナー、とても楽しかったな。2017年のラインナップの公式ブックも置いてあって、みなさんとても素敵な手帳を作られてて、文房具好きとしてはワクワクしてしまいました。とても楽しかった。イラストや文字をあんな風に自在に書くことができたら、楽しいだろうなぁ〜。

最近読んだ本に、日記というよりも日誌のような感覚でつけるといい、と書いてあったので、自分の1日を振り返って、次にどんな行動をしたらいいか……みたいな客観的な文章が書けるといいな。手書きで書いている時間は、きっと自分と向き合えるはず。少しの文章でもいいからウィークリーの欄に丁寧な字で毎日書くことを続けたいです。

アウトプットも、生活習慣も、去年と変わらず『習慣(当たり前にすること)』として身体に落とし込んで、自分をいい方向へ変えていきたい1年です。

それからね、今まで以上に読書をしたい。読書が楽しくて仕方がないです。本を読んだ後に、ノートに要約を書いたり引用を書いたりする時間が大好き。今までダラダラとベッドで過ごしてしまっていた時間を、本にあてられるといいな。人生のエッセンスは『本・旅・人』だと信じているので、まずは本の部分を安定させたい。習慣にしたいです。それがきちんとできるような1年にしていれば、先人からの色々な知識のもと、自分も少しは変わっているはず。できないことを環境のせいにすることなく、自らが変わっていくことで、きっと手に入れたい未来(わたしにとってまずは同棲を始めること)が待っているのだろうと期待しています。

 

待っていたこの年代に、ようやく来たみたい

 

わたしの中で葛藤の年代とした期間は、終わりに近づいています。大好きな林原めぐみさんの『Thirty』の歌詞にもあるように、これから成熟した女性になっていくところで、ここからの10年間は、10年前の自分から大切なメッセージを受け取り、10年後のわたしへのエールとする期間でありたい。自分のことだけでなく周りの人に優しくあれるように、大切な人を守れるように自立していく。わたし達の間に子はいなくとも、母のような強さを持った人間になっていくことを目標に、生活していきたいと思います。

いつも暗い内容になってしまうことの多い当ブログ、いつも訪れてくださってありがとうございます。私のプライベートな場所なのに、共感してくださったり応援してくださったり……それが嬉しくて堪らないです。

本年も、『熱帯夜』をどうぞよろしくお願いいたします。

レズビアンのわたしが男性俳優と付き合えるかという質問をされるときの話

「じゃあ、●●(男性俳優)とだったら、付き合える?」

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わたしが大好きな男性俳優について散々語った後に、よく聞かれる質問のNo.1がコレ。私がレズビアンであるとカミングアウト済の、友達、あるいは家族からだってポンポン飛び出てくる、理解不能な質問です。


よく考えたらこれ、異性愛者の尺で測った、とても身勝手な質問ですよね。レズビアンの私はこういう質問に、しばしば混乱します。例えば、女のミュージシャンが好きなあなた(女)に、「じゃあ○○(女のミュージシャン)とだったら、付き合える?」という質問したことある?同性愛者なら自然に湧き出てくる疑問を、異性愛者のあなたに質問することが『失礼だと思って聞かないでいる』ことは、ご存知?

私は好きになった人がたまたま男だった、女だった、という人間ではなく、相手が同性でないと恋愛の対象にならないので、本ブログ記事の質問には、「私が男だったら付き合える」という返事が1番正しい。

 

でもきっと、こんな不躾な質問をしてくるあなた達は理解できないだろうからって、その場をごまかして、ファンとしての熱い想いをこの人に語ったのは間違いだったと、また距離を置くのですけれどね。

 

異性愛前提の観点で話す人の多いこと多いこと

 

レズビアンあるあるにも、よく出てくる会話じゃないですか?親友のことを大好きで心から愛してて、付き合いたくて触れたくて堪らないのに、ふと「あたし、あんたが男だったら付き合ってたよ」なんて。言われた瞬間にフラれたようなもの、という散々な片想いとかね。そもそも(自分と付き合うことを想像した)相手と自分が同性であるか、異性であるか、そして自分が異性愛者か同性愛者かで答えが全然違ってくるんですよ。

それなのに、この異性愛主義の社会では、付き合うことを想定する際、また質問をする際に、異性愛の尺でしか測ることができない人たちばかり。同性愛者にとっては、とても窮屈な社会です。こんなこと説明するのもめんどくさい。

 

みなさんはどうですか?

 

こういう質問を受けたとき、バイセクシャルの人たちはどんな感情になるんだろう?バイセクシャルといっても、ビアン寄り、ノンケ寄り、いろいろあると思います。レズビアンの中だって、男性嫌悪がある人、男性と付き合ってから自分がレズビアンだと気づいた人、男性と付き合わずとも自分のセクシャルが理解できていた人、セクシャリティって本当に人それぞれです。

だから、私のこの感覚が、どのレズビアンにも当てはまるとは思わないでいただきたい。あくまで私という人間がどう感じるか、の話。

いままで過去に、ファンになってきた人たちは、みんな性別が女性でした。でもいま好きな俳優さんは男性です。しかも多数います。

 

過去の私からしたら、びっくり仰天されるでしょう。あなたはレズビアンなのに、どうして?……なんて、異性愛者から受けるような質問を飛ばしてくるに違いありません。

 

まだ、レズビアンは女性芸能人のファンでいないといけない、という強迫観念のようなものがあったのかもしれません。かわいそうに。こんな異性愛主義社会に縛られた、過去のまだ自分がレズビアンであることに気付きたての、わたし。

真実はとても簡単。私には、男性嫌悪はなく、恋愛対象は女性である、というだけのこと。ファンである男性俳優たちに対して、人としてどう憧れを感じるか、どう愛でたい存在であるかは、恋愛とはまた別次元のお話なのです。

いまこの瞬間にも、いちばん必要なもの

私たちにとって、本当に必要なものは分かってる。……というより、今回のデートで、より明らかになった。

 

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そう。ずばり『家』なのだ。

今回は、私の偶然の休みを利用して2泊3日の逢瀬だった。その間に、久し振りにカラオケに行ったり、舞台を観に行ったりと、とても順調で楽しいデートだった。ドラッグストアに入って日用品を買ったり、美味しいごはん屋さんに入ってほろ酔い気分でたくさん楽しいことを話したりもした。私とhoneyはいつの間にか家族になっていっているので、常に視線にハートを飛ばし合うことはない。……でも私からは、たまに、いや、結構飛ばすことはあるな。ひとりの時間もそれぞれが楽しめるようになったし、お互いを信用し合うことで気持ちの面でも穏やかに接し合うことができている。

だからこそ、困ったことがある。することがなくなって、外にはもうこれ以上いたくない気分になったときに、帰る家が、ないのだ。本来あるべきはずの、家がない。

家がない私たちには、古本屋に行って夢中で本を探す(フリをしているのかもしれない)旅に出たり、本当は、するつもりもないゲームセンターに足を運んで、無心でパチンコをしている(ように見える)おじいさんや、(子どもと一緒になって……いや、実際は子ども以上に)ゲームを楽しむ大人・家族連れを見て、そこは私たちがいるべき場所じゃないことを、再確認したりする作業しかできなかった。

そして終いには「パチンコでも、行く?」「いいねw」とまぁこういう会話にいきつく。……結局、怖くてうるさくて、私たちにはとても扱いきれない場所だと知っているから行くことはないのだけれど。でも、私たちにはあるべき家がないから、どうしても、「おうちに帰ってDVDでも観ようか」「そうだね」にはならないのだった。否、なれないのだった。

私たちにとって、いま1番必要なものが、何かということを再確認したような気分だった。やるべきことが、きちんと見えてきた。もう、これ以上は待つことができない。待たせることができない。私は決意を新たにして、帰路についた。

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