熱帯夜

女として女に愛され愛したい

とあるレズビアン的、子の無い人生

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こんにちは。mira(@mirara_l)です。

最近、また子宮がなかったらよかったのにな〜って、プチセンチメンタルなんです。今から書くのはプライベートすぎる話だけど、私はこのブログを立ち上げたときに、ここをとても個人的とも思える日記帳にすると決めたから、吐き出しにきました。

妹に子どもが産まれました。とても幸福で、おめでたいこと。妹夫婦は妹夫婦で大変な道のりだったに違いないんです。だから妹が妊娠したと聞いたとき、涙が出るほど喜びました。妹の苦労を知っていたから、私のパートナーも一緒になって泣いていました。嬉しくて嬉しくて、2人で、わんわん泣きました。

……なのに。なのに、私の可愛い姪っ子が望みに望まれて産まれてきた日に、自分の子宮を呪ったあの日の感情に近いものがやってきたんです。それとは向き合わないように逃げてきたから、とても驚いたし、身動きが取れなくなりました。そして、その気持ちとどうしても向き合わざるを得なくなりました。

自分がレズビアンだったんだと気付いた大学2年生だったあの頃、子宮を潰そうと思いました。『こんな意味のない器官が、自分の中にあることが間違っている』と。健康に関する専門的な勉強をしていたのに、最も体に悪いとよく理解している煙草を吸うきっかけになりました。誰にも言えなかったあの日。

ゲイカップルや不妊で悩む人からしたら、どうしようもなく贅沢で、わがままな感情かもしれません。でもきっと、子どもを妊娠することができるであろう体をもったレズビアンなりの葛藤なのです。許してほしい。だって私は妊娠できるのに、好きな女性との子どもを自分の子宮の中で育てることができない。好きな人の遺伝子と自分の遺伝子の半分ずつが入った生命を体の中で守り、10ヶ月共に過ごすことが、どうやったって叶わない。

こんな当たり前のこと、書いたってなんともなりません。だから、できるだけ考えないようにしていました。それでも親族にこういうおめでたいことが起こると、どうしても自分の女性としての人生について考えてしまうのは仕方のないことでしょう?

同時にやってきたのは、淋しさ。姪が産まれることは待ち望んでいたことで間違いないのに、これまでにないほどの淋しさが押し寄せてきました。

私の母親が、喜んでいる姿を見ることがとても辛かった。そんなこと本人にはもちろん、妹たちにもとても言えませんでした。みんなが笑っているこんなにもおめでたい日に、私だけこんな淋しさを感じているなんて。喜ばないといけないのに、私はなんてことを考えて勝手に落ち込んでしまっているのだろう。

孫の誕生に心が踊って仕方のない様子の母親に、私は縋るような思いでLINEのメッセージを送りました。

「ねえ、ママ。いまが人生で1番幸せ?」

「miraを産んだときが1番幸せだったよ」と、嘘でもいいから言ってほしかった。ううん、もうこの際、答えは「なんでそんなこと聞くの?」でもよかった。とにかく私のその質問に肯定してほしくなかった。

「うんうん!たとえ、ばあばになっても嬉しいよ!」

どこかでそう予想していた通り、すぐに返事が返ってきて、目の前が真っ暗になるような、足が冷えて動かなくなるような、とてつもない淋しさに襲われました。この人を人生で1番幸せにさせてあげられるのが、なんで長女の私じゃなかったんだろう。父親に対しても同じ気持ちで、私の妹の子宮から一生懸命に産まれてきた姪の顔を見て綻ぶ父の顔をいま見たら絶対に泣いてしまう、と思った。家族じゅうの嬉しい雰囲気から遠ざかりたかった。子どもを産んで両親をこういう顔にさせてあげられない私はもう家族じゃないのかもしれない、と思った。

私が両親にカミングアウトしたことさえ、後悔しそうになった。ああ、私は親不孝者なんだろうか。やっぱり一生黙っておいて、結婚や出産の期待を持たせた方が、お互いにとってよかったのだろうか。女性にあって当然とされているのであろうそれらを端から期待されていない分、娘として存在していることすら許されないのかもしれないと思った。確か妹の結婚式のときにも、同じようなことを考えていた。冠婚葬祭は私の人生の敵だ。

なんだかんだ1番傷ついたのは当日病院に駆けつけることができなかったこと。「頑張ったね、母子ともに健康でよかった」と、姉としての労いと安心した気持ちを、直接大好きな妹に言葉で伝えることが叶わなかった。

私の父親は、カミングアウト時に混乱して私を拒絶して罵って、今でも娘がレズビアンであることを信じたくないし、話にも出したくないという人です。また妹の夫にも、姉のパートナーが女性であるという事実は伝えていないようで、当然2人でその場に出向くことは無理がありました。父親と妹の夫がそばにいる限り、実の妹の病院へお祝いさえ行けやしないんです。私1人で会いに行くという選択肢はありませんでした。パートナーは私の妻だから。家族からやんわりと同性愛者であることを拒否されているような、私たちが私たちふうふとして存在する事実を否定されているような現実に傷つきました。

「……私たち、透明人間みたいだね」

私がこれ以上傷つかないように、言葉を考えて選び、困ったように隣で笑ってパートナーが言いました。あなたが必死に私を励まそうとそばにいてくれたことが唯一、生きていてもいいのかなと思えたひとつの光でした。

誰も知らないところに逃げてしまいたい。こんな風に傷つくのをいつまでも我慢するのは耐えられない、と思った夜でした。結婚できないのに、元の家族を失ったような気持ちでした。喪失感。私を無条件に愛してくれた家族はもういないんだと言い聞かせました。

「飲みたい。飲んで姪の命の誕生を2人きりで祝いたい」という私のわがままを聞いてくれてありがとう。パートナーにはあの夜たくさん気を遣わせました。お酒の力で、その夜は絶望感から逃げきることができました。

同性愛者で、環境的に子どもをもつ選択肢がなくて、それで姪っ子や甥っ子を迎えた人の話なんてどこで聞けるの?みんな自分に子育ての機会や権利がないと分かっていても、きちんと割り切れるものなの?

例え私がいま子どもをもったところで、この人たちみたいな祝福は受けられないんだろうなという諦めの気持ち。女同士で育てていくなんて、この子の将来がかわいそう、という偏見、家族は周りの人に孫・もしくは姪か甥を誇らしげに紹介することもできない、理解できないから協力はできない、きっとそんな正解が待っているだけ。

この世に味方のいない淋しい人間を作り出してしまうとしたら、子育てなんて絶対にできない。無理だ。レズビアン、もしくはゲイ、というか同性愛者や同性カップルは子どもと縁遠いもの、子どもをもたないものだという田舎特有の空気に殺されそう。

姉妹の中で誰よりも結婚することを望んでいて、子どもをもちたいと思っているのかを実の母親には理解されていなかったみたい。理解していたとしても、私の前で人生で1番嬉しい瞬間だとかいう言葉を発してしまうぐらい、孫ができるというのは嬉しくて周りが見えなくなるものなのだ。それは理解できるよ、ママ。喜んでほしいけど、淋しいの。私が男性と結婚をしていて不妊で悩む体だったら、もうちょっと気を遣ってくれた?

不妊で悩む女性と同じ。私の体は赤ちゃんを作ることはできるかもしれない。だけど生まれ持ったこの環境じゃ、同性愛者の私が子どもをもつことはできない。子育ての能力があっても、環境がそれを許さない。

環境というのは例えばこういうこと。子どもには父と母あってこその家族だと考える集団の中で育ったこと。また、それらと縁を切ることができずに今なお家族からの愛情を欲しているということ。田舎の学校という古い気質の大人がいっぱいの場所で働いているということ。片親への偏見や性的少数者への偏見だらけの職場でお金を稼ぎ続けなければならないということ。私はパートナーと2人の遺伝子から作られる命を子宮に宿したいと思っていること。父と母が根本的に女性と歩む娘の人生を望んでいないということ。きっと姪と平等には祖父母に愛してもらえない。かわいそうな私の子。

異性カップルと同じように同性同士で子育てするのが私の夢だった。ミルクをあげたり、沐浴に苦戦したり、保育園にお迎えに行ったり、卒園式や入学式に出たり。小学校の授業参観に行ったり、運動会を見に行ったり、個人懇談に参加したり。習い事の送り迎えをしたり、病院に連れて行ったり。中学校の担任と進路の面談をしたり。高校の文化祭・体育祭に呼んでもらったり。バイトの送り迎えをしたり、思春期を過ぎたあたりで腹を割って会話したり。自分の知らないところで誰かと付き合っていた事実に驚いたり、泣いたり、笑ったり。宝物みたいな娘や息子と人生を歩んでみたかったな。

今日も「仕方ない」の呪縛に少しでも抗うために、パートナーと美味しいご飯を食べている。まるで娘みたいに愛する犬は、今日もくりくりの目で見つめ擦り寄ってくる。家族3人で暮らしていくためになるべく真正面から物事を見ないで働く。そんな私の人生。1度しかない、子のない人生。揺さぶられても圧倒されても悲しんでも嘆いても、私は私。

かっこいいママにいつでもなれるように。前を向いて。

関係を偽って賃貸の契約をしましたが、きっと契約違反にはなりません。なぜなら?

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突然、思い出してしまった。
あの日、同居人の関係欄に「友人」と書かなければならなかった瞬間のことを。

早いもので同性パートナーと一緒に賃貸での暮らしを始めて1年半。ご近所さんともだいたい顔見知りになって、向こうはどう思っているのか知らないけれど、自分たち的には感じのいい挨拶などをし合って穏やかに過ごしている、と思っている。異性夫婦であれ、同性ふうふであれ、ご近所さんとの挨拶は基本中の基本だし、近くに住んでいるからこそ、気持ちよく生活したいというのが私たちの共通の考え。

それでもやっぱり女同士、特に似てもいない若い女性がいつも同じ部屋から出てきて生活を共にしていることに対して、各家庭でそれはそれは話題になっているかもしれない。そんなことを考えると、ただ生活するだけのことが何故こんなにもハードルが高いのだろうと暗い気持ちになるけれど、それでも背筋をしゃんとして過ごせるのは、LGBTフレンドリーを謳っていたあの不動産会社の担当さんが、私たちの関係を知った上で賃貸の契約を進めてくれた事実があるから、というのは理由の1つなんだ。

まだ遠距離だった私たち。手続きはほとんど私ひとりで進めた。2人で暮らせばいい未来がある、という希望だけを信じて。ネットで地域の不動産屋さんを調べてみたら、LGBTの人たちがお部屋を借りにくい不便な現実があることを知っていて、会社ぐるみでLGBTのパレードに参加したり、性的マイノリティについての研修を取り入れていたりと、好感が持てる会社があった。他の不動産会社には目もくれずに、その店のドアを叩いた。

何通かメールでのやり取りがあって、担当になったのは私と同い年ぐらいの清潔感のある女の人だった。「新生活を考えています、2人暮らしです」と伝えると、いくらそういう研修を受けているとはいえ、やはり出てくる呼び名は「彼氏さん」だった。私生活でもパートナーのことを男性に置き換えて話すことができない私は、堪らなくなって「個室でお話したいことがあるんですが……」とお願いをした。

「私が一緒に暮らす予定の相手は、男性ではなく女性なんです」

彼女の反応は「あっ、そうだったんですね!かしこまりました!」ぐらいフランクなもので、途端に呼び名は「相方さん」になった。「パートナー」という単語は、彼女の頭の中にまだ無いらしい。一緒に暮らすのが女性同士=同性カップルとは、その一瞬では分からなかったのかもしれない。

それでも、徐々に個室で話すぐらいのことだから……と察知していったようで、カウンターに戻ったあとも「相方さん」との、お付き合いの長さを訪ねてきたり、やっと一緒に暮らせることを喜んでくれたりもした。

思えば彼女が使っていた単語が「彼氏さん」から「相方さん」に変わっただけで、とても自然に接してくれた。だから飼い犬や仕事のことまでペラペラと話してしまった。お部屋も一緒に見学に行き、とてもいい部屋だと興奮する私を、微笑んで見ていてくれた。

担当のその女性や、会社の理念、そして気に入った物件もあったので、すぐに部屋を決めた。そして契約の段階になった。

契約の段階で私たちの関係を嘘つかないでよかったのは本当にありがたかった。でも、私にとっての1番の壁は書類だった。人によっては気にしすぎというかもしれないが(実際、私のパートナーは特に気にしないけど、と言っていた)、私は本当にいやだったの。同居人の関係のところに「妻」と書けないことが。

担当の女性に試すように聞いてみた。

「ここはなんと書けばいいですか?」
「そうですね……とりあえず、友人、が無難ですかね」

きっとそのとき、私は泣いてしまいそうな表情をしていたと思う。この人は、なんてひどいことを言うんだろう、と心の中で悲しみに暮れていた。でも今になって分かる。私が怒るべきだったのは、目の前の彼女ではなく、そういう制度がない日本であること。社会であること。そこに私が同性のパートナーのことを「友人」という嘘を書かなければならないこの世の中に悲しむべきだったの。

彼女が大家さんに私たちの関係を「友人」としてか「カップル」としてか、どう説明しているのかは知らない。それでも大家さんは私たちに会えば感じよく話しかけてくれるし、嫌がらせとか変な視線は全く感じない。きっと彼女がうまくやってくれたんだろう。

世の中に可視化する、という意味では、こうやって普通に働いて生活をしている女同士のカップルが本当にいるんだな〜。結構普通だな〜。なんて一人でも思ってくれれば、私たちのカミングアウトは無駄なものではなかったと思っている。

ご近所さんに対しても、感じよく、いつも笑顔で交流していれば、気持ち悪いとか怪しいだとか、同性カップルの独り歩きのイメージはなくなっていって、いつか同性同士だって家族になることができるんだ、って気付いてもらえるかもしれない。だから私はパートナーと愛犬と一緒に、楽しく明るく暮らすことを諦めない。

あのとき、あなたに傷ついた顔を見せてごめんなさい。私たちの生活を、心から応援してくれてありがとう。今でも、何か相談があるときにお店に出向いてあなたの顔があると、内心ホッとしている私がいます。これからもいろんなご家族の安定した住処を、親身になって見つけてあげてください。

私たちが本当に抗議するべきは国です。同性カップルが結婚できないと、こういう小さなところでいちいち傷つくし、つまずくし、困るんです。絶対数が少ないからとかそういう問題ではなく、現実にただ家を探すこと、ただ一緒に暮らすこと、あなたたちが普通にできていることが簡単にできない人たちがいるんです。ここにも。あそこにも。どこにでも。

男も女も犬も子どももいる世界で、私たちは生きています。本当の関係を偽って賃貸の契約をしました。でもこれは法律違反にはなりませんよね。そもそも私たちの関係を、国は認めていないんだから。同性同士のふうふなんて、書きようがないんだから。そう、これって日本の制度を考えれば、噓にもなりようがないですよね。

2019夏は、もう帰ってこない

今週のお題「夏を振り返る」

こんにちは。mira(@mirara_l)です。
夏を振り返ろう。

去年の夏は、研修だらけで気持ちに余裕がありませんでした。引っ越して同棲が始まったばかりの夏だったしね。今年はパートナーと迎える2回目の夏。研修が去年よりも少ないとはいえ、それなりには入っていて、8月のある1週間なんて毎日朝から晩まで研修だった。へとへと具合を思い出す。パートナーは新しく仕事をし始めたりして、遊びの予定も大きなものは入れられなかったな。

それでも今年の夏は充実していた。というのがおおまかな感想で、それはきっとパートナーも同じだと思う。予定を詰め込みすぎてクタクタになってしまった去年の反省を生かして程よく夏を過ごせたんじゃないかなって。

お盆を避けて、パートナーの実家に帰省した。短い間だったけれど、パートナーもパートナーのママも嬉しそうでリラックスしていて、とても嬉しかった。

 

 

私がまだ小さかった頃、実家からおばあちゃんの家(母の実家)に帰省するときが、夏休みの楽しみだったことを覚えている。そのときパパはいつも、最初は少し他人行儀に謙虚な様子で正座なんかして「ご無沙汰しています」と、おじいちゃんとおばあちゃん(ママのママとパパ)に挨拶をしていた。そしてお仏壇に行って、勝手にお経をあげていた。

そのうちに、ここはママの実家だっていうのに、リビングでいびきをかきながらお昼寝を始めるパパ。それをみんなが普通のこととして捉え、ママは特に咎めることもなく、おばあちゃんがタオルケットをかけてあげたりしていた。小さな私はそれを観察していたような気がする。

いつの間にか、私もパパのようにパートナーの家でくつろぐような大人になってしまっていた。さすがにいびきをかいて寝ることはしないけれど、ちょっと自分でも図々しいと思うほどにリラックスして過ごしている。パートナーの実家が好きだ。相手の家族を好きでいられる関係は、とても心地よい。

今年、パートナーは実家から自分たちの家に帰るときに泣きじゃくらなかった。もちろん寂しい気持ちは去年と何一つ変わっていないことは知っている。それでも、去年より少しだけ冷静に「寂しい」と言って、涙を溜めて笑っているあなたをみて、安全運転で自分たちの住処に帰らなくちゃ、とハンドルを握る手に力がこもった。

帰ってから、私はしばらくのお休みを満喫し、現実世界からここぞとばかりに距離を置いていた。パートナーは通常通り、仕事に復帰した。たくさん本を読んだ。たくさん犬と触れ合った。たくさん休んだ。とても充実した夏だった。

 

 

最後の日に、2人で夏祭りに出かけた。地域が主催している、それほど大きくない規模の夏祭り。それでも、一緒にお祭りに行くという経験が初めてで、2人ともわくわくしていた。浴衣じゃないけれど、突然の雨なのに折り畳み傘1個だったけれど、ビニール袋を敷いて座ったけれど、それは紛れもない若ふうふが経験した初、夏祭りだった。

 

 

そんなこんなで私たちの2度目の夏が終了した。9月に入ったのにも関わらず、まだバカみたいに暑い。早く堤防沿いの美しいススキが見たい。