熱帯夜

女として女に愛され愛したい

お仕事に対しての想いと近況報告

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創作という気分でも勉強という気分でもないのに何か文章を書きたいとき。手書きの日記帳にも個人的な文章を書き切ってしまったときはブログを書くに限るな。大したネタはないんだけど。

――仕事を割り切るようになった話でもしよう。

私がいま就いているこの仕事を初めて夢見たのは、まだ中学生とか高校生とか、好きな人や好きな先輩のことを、『友情』や『憧れ』という感情で塗りつぶしていた頃。いま思えばそんな簡単な単語にできるものではなくて、どちらも【女という性に対しての生々しい感情】だった。私が学生だった頃、この仕事を大人として先にしていた女の人のことも、幼い私の目には綺麗で素敵な大人の女性として、本当にキラキラと輝いて映った。その人といま一緒に仕事をしていて、可愛がってもらえていることは、過去の私からしたら本当に奇跡みたいなことだ。ここに来るまでよく頑張ったなぁ。

まさか女として女に恋焦がれる人生になるとは本当に思いもしなかったんだよね。だからこの進路を選んだの。父親譲りで真面目な性格なの。

その間に男という性と付き合って「ちゃうな」という経験もし、自分の性的指向を受け入れた後に進路を変更するなんてことまで考えつかないし、レズビアンとしてこの職業に就くことが、どんな風に自分の思考に影響するかなんて知らんでしょ。大学生として勉強だけしている身じゃ。

とにかくこの職業に一旦就いてしまえば安定を得られると思っていたし、こんな内容のブログを書いといてなんだけど、実は今でもその思いを捨てきれずにいる。女性同士で生きていく上でも、この職業なら多分、突然のリストラはないし、年齢を重ねていくほどに給与は上がっていく。きっとママよりパパより稼げるようになる筈だ。

子どもは好き。彼らには私みたいに大人になるまで気付かずに苦しんだりしてほしくない。ましてや自分の本当の気持ちやセクシャリティを否定したり未来に絶望したりしてほしくもない。世間を変えていくのはあなたたちだっていう望みを託して教育していることにやりがいは感じる。周りの大人が彼らのそんな力を引き出せるようにするために大人同士のコーディネートをする役割だって、自分のこの性格に向いているとは思う。

それでもまだ結局、苦しいんだな。きっと何処へ行ってもこの苦しさはついてくるんだろうけれど、純粋な彼らを目の前に「ありのままでいいんだよ」なんて。そんな風に教育をしながら、肝心の自分が自分にちゃんと向き合えていないんだもの。自分のこととして話題に出来ないというのは、子どもたちに嘘をついているようで苦しい。新しく勉強している職業は、その辺りを割り切ってクライエントとして対応することが可能だけど、いまの職業は私には荷が重すぎるんだよなぁ。彼らが初めて家族以外に身近に出会う健康な大人であり、楽しく朗らかに生きているお手本でなければならないから。

同性愛者としての私の人生の楽しいや幸せを、子どもたちにも周りの大人たちにも話すことができない業界なの。この職業は、人生が濃く関わりすぎている。いつかこの職業を目指した子が、自分の人生を他の大人と同じように誇らしげに教室や職員室で語ることができて「なんか大人っていいもんだなぁ」って、目の前の“どんな子どもたちにも”希望を与えられるような教育が成り立っていることを、心の底から望んでいる。

いま勉強しているものが私の未来にどんな風に活かされるのかは分からない。でも同性愛者にとって手札は多い方がいい世界なんだよね、まだまだ。生きていくための選択肢を増やしたい。この一連の気持ちを書いていると、友達にいつだったか「法的に結婚できないなら海外に行けば?」なんてことを言われたのを思い出して辛くなってしまうんだけど、でもじゃあ早めに海外を選んだ人が悪いのか?幸せじゃないのか?私には見えていないだけで、海外を選んでよかった〜って幸せに過ごしている家族を見ると、やっぱり希望が湧くんだよね。

だから仕事に対して気持ちを割り切っていくことに決めたんだ、最近。幼い頃からの夢だったから、両親や親戚が喜んでくれたから、だから苦しくても退職までずっと全うしなければいけないなんて誰が決めたんだ。私の人生は私が決めるんだ。どんな場所からでも、可愛くて尊い命を持った子どもたちを養い、護ることはできる。どんな形でも愛してる。先生は、ずっとあなたたちのことが大好きだよ。