……きっつ。私が帰ってから何しててこんな時間になったと思う?報告。ツイートをひたすら報告してたんだよ。同性愛者を傷付けるつもりはなく、かわいそうな欠陥品に対しての正論を言ってやっていると思っている人たちのツイートを。ひたすら。チェックして。報告。気が病むわ。
同性同士で勝手に愛し合っていればいいじゃん‼️🤮
— Rino (@RinoCoffeeTime) 2020年1月30日
でも結婚によって、税金、年金、健康保険、相続などで優遇されているけど、それは子供を産んで育てることで国に貢献するからだよね⁉️🤔
同性同士の結婚は子供を産まない以上、優遇する必要があるのか疑問だな😅https://t.co/54KKAGPnKb @jijicom
もう、自分が何を言っても無駄だと思ったの。今までそんな意見を散々見たり聞いたりしてきて見飽きてるはずなのに、またしっかり傷付いてしまって。きっとこの人たちが普段から大事にする誰かが、「そういう発言があったから今までカミングアウトできなかったけど、私は同性愛者だよ。でも同性を愛することは自分で選択したわけじゃないんだよ」と、永遠に距離を置くことを告げられたときに、慌てるか、やっぱり気持ち悪いからと最初からその大事な人がいなかったことにするかだと思うの。結局。
私はあなたの大事な人ではないから、ただ違反報告をして、ブロックした。それしかできなかった。タイムラインに流れてくるリプを見て、こういう人に上手に言い返せたり意見を言うことのできる人ってかっこいいなって思いながら。でも私は先生にこっそりチクるみたいに、運営にチクることしかできなかった。
次にこのツイートへのリプ欄を見た。そう、ちょっとだけ期待したの。「今の世の中、言っていいことと、悪いことがありますよ」ぐらいの、どっちにも取れるリプがたくさん並んでいるのだと。
いいねがたくさん押されている時点で気付くべきだった。目を覆うこともできなかった。私は大人だから、昔の自分のように傷付いて泣くこともできない。部屋の中にはこういうときにそっと抱きしめてくれるはずのパートナーがいない。だから目を見開いて、眉間にシワを寄せて、一つひとつ確認して、静かに違反報告とブロックを繰り返すことしかできなかった。「同性愛者に生きる価値なし」。そんな裏のメッセージを受け取りながら、泣くことも出来ずに強がりを言うことしかできなかった。
私は目の前の子どもたちを教育するので精一杯。教育というのは大人の考えや正しいことを教えて育てるだけじゃなくて、子ども自身の思いに気付く力や物事を色んな方向から考える力ってのをつけさせる支援も含んでいる。だからそちらは任せたという感じ。みんなできることをしよう。自分のために。
— mira (@mirara_L) 2020年2月3日
Twitter公式に「そうだね、だめだね。人としてダメなツイートたちばかりだったよ。よく見つけたね」って励ましと正解をもらうために。2020.2.3 20:12 現在、まだ、このツイートは消えていない。
異性愛者の愛のあり方を攻撃しないように踏みとどまってるのがアホくさくなるほど、世間は異性愛以外の愛のあり方に厳しい
— ろく (@roku_azure) 2020年2月2日
本当に厳しい世界すぎますね。だから私はつい、カミングアウトをしている友達や家族の顔を思い出しました。彼らの笑顔や優しい言葉を思い出しました。彼らの中にも、このツイートをした人と同じ考えを持った人がいたかもしれない。それでも、私と縁を切らずに繋がってくれているということは、私は彼らの『大事な人』だったんだって。そうやって自尊心を保つことができたんだよ。ありがとう。
そっか。教科書には「異性に関心をもつ」としか書いていない。「好きになる」とは書いていない。確かに思春期は「性別を意識する」時期だ。でも私は女を好きになり、男を好きにならない。この気付きもある意味「関心」だ。関心をもつことと、好きになることは、別のことだと伝えよう。今日は決戦日。
— mira (@mirara_L) 2020年1月30日
私の初恋は、それが初恋だと気付いていなかっただけで、もちろん女だった。それなのに「異性に関心をもつ(好きだと言い合いお付き合いをする)」ものだと教育されたから、この社会に自分の性対象ではない男と「付き合わされた」と思っている。もうこんな子はなくしたいと毎年思いながら性教育をする。
— mira (@mirara_L) 2020年1月30日
あの頃、一言でもいい。教科書に書いていなくても「同性を好きになりドキドキする人もいる」「すでに家族となっている人もいる」「ありのままで過ごしても幸せになることができる」と教えてくれる先生がいたら。初恋を初恋として楽しめたのに。また今年もこの先の仲間と過去の自分を救う作業が始まる。
— mira (@mirara_L) 2020年1月30日
先生や学校を責めるつもりはない。あの頃の社会が、悪いんだ。いま自分が幸せに女性と暮らしていることを目の前の子どもたちに伝えられないのも、いまの社会がそうさせているのだと思う。でも社会を変えるには、目の前にいる「一人」だから。社会は一人ひとりで作られているのだから。辛いけど頑張る。
— mira (@mirara_L) 2020年1月30日
こんな風に心ない言葉で思いやりのない人たちに傷付くのは、私で最後にしたい。この時代で最後にしたい。いまだに授業で「同性を好きになる人もいる」話をすると、真っ先に「ホモ?」とニヤニヤする子がいます。私は子どものそんな言葉にも、向こう側にいる大人がこの子をこういう顔にさせているのだと感じて傷付くのです。でも私の願いは1つだけ。
同性を好きになり、誰かを幸せにする愛情を「ホモ」だと呼んで笑っているこの子自身が、いつか同性を好きになる自分に気付いたとき、こんな社会に作られた心ない言葉と差別の感情で、自分で自分を傷付けていたという事実がなくなりますように。ああそれと、どうかこのツイートの主の恋人が、親が、子どもが、友達が同性愛者でありませんように。