突然、思い出してしまった。
あの日、同居人の関係欄に「友人」と書かなければならなかった瞬間のことを。
早いもので同性パートナーと一緒に賃貸での暮らしを始めて1年半。ご近所さんともだいたい顔見知りになって、向こうはどう思っているのか知らないけれど、自分たち的には感じのいい挨拶などをし合って穏やかに過ごしている、と思っている。異性夫婦であれ、同性ふうふであれ、ご近所さんとの挨拶は基本中の基本だし、近くに住んでいるからこそ、気持ちよく生活したいというのが私たちの共通の考え。
それでもやっぱり女同士、特に似てもいない若い女性がいつも同じ部屋から出てきて生活を共にしていることに対して、各家庭でそれはそれは話題になっているかもしれない。そんなことを考えると、ただ生活するだけのことが何故こんなにもハードルが高いのだろうと暗い気持ちになるけれど、それでも背筋をしゃんとして過ごせるのは、LGBTフレンドリーを謳っていたあの不動産会社の担当さんが、私たちの関係を知った上で賃貸の契約を進めてくれた事実があるから、というのは理由の1つなんだ。
まだ遠距離だった私たち。手続きはほとんど私ひとりで進めた。2人で暮らせばいい未来がある、という希望だけを信じて。ネットで地域の不動産屋さんを調べてみたら、LGBTの人たちがお部屋を借りにくい不便な現実があることを知っていて、会社ぐるみでLGBTのパレードに参加したり、性的マイノリティについての研修を取り入れていたりと、好感が持てる会社があった。他の不動産会社には目もくれずに、その店のドアを叩いた。
何通かメールでのやり取りがあって、担当になったのは私と同い年ぐらいの清潔感のある女の人だった。「新生活を考えています、2人暮らしです」と伝えると、いくらそういう研修を受けているとはいえ、やはり出てくる呼び名は「彼氏さん」だった。私生活でもパートナーのことを男性に置き換えて話すことができない私は、堪らなくなって「個室でお話したいことがあるんですが……」とお願いをした。
「私が一緒に暮らす予定の相手は、男性ではなく女性なんです」
彼女の反応は「あっ、そうだったんですね!かしこまりました!」ぐらいフランクなもので、途端に呼び名は「相方さん」になった。「パートナー」という単語は、彼女の頭の中にまだ無いらしい。一緒に暮らすのが女性同士=同性カップルとは、その一瞬では分からなかったのかもしれない。
それでも、徐々に個室で話すぐらいのことだから……と察知していったようで、カウンターに戻ったあとも「相方さん」との、お付き合いの長さを訪ねてきたり、やっと一緒に暮らせることを喜んでくれたりもした。
思えば彼女が使っていた単語が「彼氏さん」から「相方さん」に変わっただけで、とても自然に接してくれた。だから飼い犬や仕事のことまでペラペラと話してしまった。お部屋も一緒に見学に行き、とてもいい部屋だと興奮する私を、微笑んで見ていてくれた。
担当のその女性や、会社の理念、そして気に入った物件もあったので、すぐに部屋を決めた。そして契約の段階になった。
契約の段階で私たちの関係を嘘つかないでよかったのは本当にありがたかった。でも、私にとっての1番の壁は書類だった。人によっては気にしすぎというかもしれないが(実際、私のパートナーは特に気にしないけど、と言っていた)、私は本当にいやだったの。同居人の関係のところに「妻」と書けないことが。
担当の女性に試すように聞いてみた。
「ここはなんと書けばいいですか?」
「そうですね……とりあえず、友人、が無難ですかね」
きっとそのとき、私は泣いてしまいそうな表情をしていたと思う。この人は、なんてひどいことを言うんだろう、と心の中で悲しみに暮れていた。でも今になって分かる。私が怒るべきだったのは、目の前の彼女ではなく、そういう制度がない日本であること。社会であること。そこに私が同性のパートナーのことを「友人」という嘘を書かなければならないこの世の中に悲しむべきだったの。
彼女が大家さんに私たちの関係を「友人」としてか「カップル」としてか、どう説明しているのかは知らない。それでも大家さんは私たちに会えば感じよく話しかけてくれるし、嫌がらせとか変な視線は全く感じない。きっと彼女がうまくやってくれたんだろう。
世の中に可視化する、という意味では、こうやって普通に働いて生活をしている女同士のカップルが本当にいるんだな〜。結構普通だな〜。なんて一人でも思ってくれれば、私たちのカミングアウトは無駄なものではなかったと思っている。
ご近所さんに対しても、感じよく、いつも笑顔で交流していれば、気持ち悪いとか怪しいだとか、同性カップルの独り歩きのイメージはなくなっていって、いつか同性同士だって家族になることができるんだ、って気付いてもらえるかもしれない。だから私はパートナーと愛犬と一緒に、楽しく明るく暮らすことを諦めない。
あのとき、あなたに傷ついた顔を見せてごめんなさい。私たちの生活を、心から応援してくれてありがとう。今でも、何か相談があるときにお店に出向いてあなたの顔があると、内心ホッとしている私がいます。これからもいろんなご家族の安定した住処を、親身になって見つけてあげてください。
私たちが本当に抗議するべきは国です。同性カップルが結婚できないと、こういう小さなところでいちいち傷つくし、つまずくし、困るんです。絶対数が少ないからとかそういう問題ではなく、現実にただ家を探すこと、ただ一緒に暮らすこと、あなたたちが普通にできていることが簡単にできない人たちがいるんです。ここにも。あそこにも。どこにでも。
男も女も犬も子どももいる世界で、私たちは生きています。本当の関係を偽って賃貸の契約をしました。でもこれは法律違反にはなりませんよね。そもそも私たちの関係を、国は認めていないんだから。同性同士のふうふなんて、書きようがないんだから。そう、これって日本の制度を考えれば、噓にもなりようがないですよね。