熱帯夜

女として女に愛され愛したい

【映画感想】LGBTをテーマにした短編映画『カランコエの花』のDVDを観ました(ネタバレあり)

こんにちは、mira(@mirara_l)です。今日は先日パートナーと一緒に鑑賞した映画『カランコエの花』の感想を綴りたいと思います。

制作された頃からずっと気になってはいたのですが、DVDになってレンタルが始まるとSNSで知ったので、当日にレンタルショップを2件回ってやっと見つけました。1件目のところは、行ったらもう既にレンタルされていたの。

 

 

もう観てから随分経ってしまったのですが、この作品の感想は残しておきたくて。当事者として見ると、とてもありがちなんだけど、でも、私がもし当事者じゃなかったら……とか、ああ、当事者の周りの人たちって、こんな感情で居るんだ……というような再確認ができたような気がします。つまり、この映画のメインは当事者の心の動きではなく、周りの感情にフォーカスしたものでした。

※ ここからネタバレあり

 

 

なんかまだ気持ちがぐるぐるしてる。花ちゃんと同じ職業の大人として、桜ちゃんと同じ青春を過ごした同性愛者として、思うところがたくさんありました。私が高校生のときから10年以上の月日が流れているのに、まだこんな話題で映画が作られるんだ……と、ちょっと悲しい気持ちになりながら。

コメンタリーまで観たのですが、これってキャストの中にもしLGBTがいたらちょっと苦しいのでは?と思いました。当事者としてではなく、周りの感情から観る映画なので、異性愛者の役者としての視点での発言を求められている雰囲気というか、それ以外で発言することは難しそうな感じ。自分の性的指向がどうこうなんてもちろん話す必要などないけれど、性的少数者の周りにいるマジョリティとしての発言を全員が自然にできるのが逆にちょっと不自然な感じがした。テーマがテーマだからですね、考えすぎか。

花ちゃんが行った例のあの授業により結果こうなってしまったけれど、そのときの桜の気持ちって、悲しかったとか辛かったとかでは表せられないよなって思う。どう感じてたのか、この映画の中に答えはなかった。なくて良かったとも思う。あったとしてもそれは桜の正解でしかなくて、きっと当事者一人ひとり感じ方は違うと思うから。

クラスの子達の面白がったような同性愛者探しの反応は、桜にとって正直どうでも良かったんじゃないのかなって、私は推測してます。桜ちゃんはとにかく月ちゃんが大好きで、大好きな月ちゃんにレズビアンであることを知ってほしいような、知られたらどういう反応をされるか怖いようなという感情が中心にある気がして。

だから黒板に自分で「小牧桜はレズビアン」と書いたのは、一種の賭けだったのかもと思うわけです。自分の大好きな月ちゃんがそんなことするはずない、というほとんど夢に近い盲信。好きな人を信じたい感情。甘酸っぱくて懐かしい桜の気持ちに同調して、だいぶ切なくなりました。

でも月ちゃんは消した。「桜はレズビアンなんかじゃない」と、言って。自分を偏見から守ろうとして。必死に。きっとその姿でさえ桜の目には可愛らしく映ったんだろうなぁ。そんな月ちゃんを好きな気持ちを、月ちゃん本人に消された。これはフラれる以上に辛いことだったと思う。あの場では泣くことでしか、自分の想いを伝えられないなんて。こんな辛い思いをするであろう可能性のある高校生が、いまだにこの世にいるだなんて信じたくなかった。自分たちのときから何も変わっていない。

カランコエの花言葉。『あなたを守る』。守れなかったその先が描かれることなく、エンドロールへと続きました。あの子達にきれいな花が咲くことは、あるのかな。余韻の残る映画でした。

そもそも桜を守れなかった月ちゃんも、桜のことが好きだったあの男の子も、必ず異性愛者とは限らない。あの映画の中では同性愛者とは描かれていなかったけれど、絶対異性しか愛さない人生なのか、そもそも恋愛をするのかどうか、誰にも分からない。だから人の気持ちを、人の好きをばかにしちゃいけない。桜のあの涙を見た瞬間に、あの男の子はそれを全身で知ってしまったんだと思う。信じられないという思いと、同時に立った鳥肌と、なんかぐちゃぐちゃの感情の中に、「しまった」という気持ちがあったから、だからもう笑えなくなってたんだと思う。

私自身、高校生のときには自分が同性愛者だなどと思ったことはなかった。大好きでたまらない女友達と自分を、彼氏を作ることで騙していた。自分は異性愛者だと言い聞かせていた。まだ、桜は自分がレズビアンだと知っているだけマシか。でもこれだけLGBTの情報があってもなお、自分の周りにはそんな人はいないと感じる人が多いのはなんでなんだろうね。

いまの時代、子どもにカミングアウトされると「急いで理解者を増やさなきゃ……!」って思ってしまう養護教諭や先生たちって結構いると思う。その彼らの優しさや配慮が、当事者だけでなく周りのマジョリティや自分自身まで傷つける結果になる社会はどうか令和の最後には無くなっていてほしい。

だれの「好き」も楽しく聞き合って、好きな人がいない子の「好きなこと」も楽しく聞き合えるJKDK時代を、今のちいちゃい子達が過ごせますように。

私たちは同性でも結婚する権利があり、子どもをもつ選択ができる新しい家族観に包まれていますように。