熱帯夜

女として女に愛され愛したい

忘年会という地獄に向かう

忘年会・新年会シーズン。本当に憂鬱です。お酒は大好き、美味しいご飯も、楽しい雰囲気も好き。じゃあなんで憂鬱なのか?それは、最終的に必ず人生の話、家庭の話、恋人の有無、そんな話になるからです。それを想像すると、出掛ける前から溜息しか出なくなる。まだ現実にはなっていないけれど、でも確実に迫り来るその時を考えることがすでにストレスになり、「ああ、やっぱりQOLが低いよなぁ……日本で生きる同性愛者って……」って思うのです。

 

いいなぁ……。一度でいいから忘年会や新年会を心から楽しんでみたかった。もっと言えば、社会人として生きる人生を心から楽しんでみたかった。

 

私はいつも“ここに馴染んではいけない”とバリアを張って生きている感覚があるんです。だってその場所やその人に馴染んでしまうと、いずれカミングアウト無しでは苦しくなってしまうから。馴染んでいなくても自分の生活を隠していることがめんどくさくて苦しいのに、それが馴染んでしまった場所や人ならどれだけ苦しいだろう。例えば家族に対して、ずっとずっとそうだった。

 

仕事を変えれば、地域を変えれば少しはマシなのかもしれない。でも、それが頭をかすめる度に思うの。どうして他の人がしない選択を、私が同性愛者だからってしなければならないの?

 

私はこの仕事が好きなんです。プレッシャーは常にあるけれど、憧れの職業だった。地元でお世話になった方たちと同じ土俵で仕事をするために、何度失敗しても挑戦して勝ち取った仕事。やりがいがある。毎日違う子どもたちを、養い護ることは本当に楽しい。

 

なのに。私が同性愛者というだけで、一気に疎外され、ひとりぼっちになったような悲しい気持ちになります。多数の常識が何がなんでも正しい世界。同じ業界で働いているレズビアンやゲイの人とは一生友達になれないんだろうな。だって隠さなければ、異性愛者として無難に過ごさなければ生き残れない世界だから。だから隣にいるかもしれない仲間がどうやったって分からない。

 

どうやって多様性を教えていけばいいのかしら。大人の私自身が隠し事だらけで押しつぶされているのに。こんな責任重大な仕事を選んでしまったことを後悔しそうになる。でもなんとか働き続けるうちに、この業界にも変化があるのではないかと小さな期待を抱くけれど、例えば私のルームシェアを不思議に思う人に不意にしつこく質問されたりすると、もうその場から逃げ出したくて堪らなくなる。教育業界とはそういう世界です。

 

今日もまた、忘年会。研修会で奇跡的に親しくなることができた友人数人と。嘘ばかりで塗り固めた苦しい忘年会。あの時、居心地がいいけどもうきっと二度と会うことはないだろうと、パートナーのことを男性に置き換えて話してしまった。私はもう、その架空の男の人の年齢も職業も、出会った経緯も全てみんな忘れてしまった。きっと彼女たちは覚えていて、笑顔で話を振ってくれるに違いない。一瞬固まる自分の笑顔を想像しながら重い足取りで待ち合わせ場所に向かいます。