杉田水脈議員の一連の騒動に傷ついたので死にます、という遺書を書いて自殺をすれば、この世の中って変わるんだろうか。なんて、日常生活の中でぼんやり考えてしまうのも無理はないでしょう?私は仕事場から帰る、車の中でふと、そう思いました。
なんかもうLGBTにまつわる嫌なニュースや話題について、世間の無意識の差別について、考えたり傷付いたりするの疲れちゃったな〜…。疲れちゃったけど、それらから逃れられないということが私たちのQOLを下げるのよね。生きてても、苦しいことしかないじゃない。という錯覚に陥るね。疲れたな…。
— mira (@mirara_L) 2018年10月24日
こういう人たちから身を守るために、この日本でレズビアンであることを隠して生きている私がもし死んだら。今回の杉田水脈議員の生産性発言から言い訳に到るまで、それこそ小川榮太郎氏の擁護についても自殺を決めたきっかけになったと、そんな内容の遺書が遺体のそばに置いてありましたというニュースが流れたら、笑うんだろうか。杉田も小川も。
いじめを苦にした子どもたちが命を終わらせる感情が、今なら少し分かるよ。「いじめているつもりはなかった(差別の意図はなかった)」なんて、やられた側(言われた側)の受け取り方や解釈の仕方が悪いみたいに言われたら、ああ、もうこれ以上何を言っても無理なんだ。って思っちゃうよね。どうやったら分かり合えるのかとか、どうやったら私たちの人間としての権利を訴えられるのかとか、考えるの疲れちゃうんだね。
それぐらい、当事者にとって、命を落とすかどうか考えるぐらいに、人権の根本的なところを否定された。「子どもが産めない、つまり生産性がない、よって税金を使う必要はない」と、LGBTの人権をまるごと否定して差別したことは明らかなのに、声明文では「多様性を尊重することは当然のことだと認識しており、差別の意図はありません」だって。もう言ってること訳わかんねーよ。めちゃくちゃじゃん。
ほんとうに何回考えても分からない。あの寄稿文で、何が伝えたかったの?税金を払っている私たち少数派も含めた全ての生きる日本国民に、何が言いたかったの?
ごめんなさいも無し。発言の撤回も無し。アメリカの大統領のトランプ氏はトランスジェンダーを認めないことに決めたそう。……私たちはどこで生きていけばいいの?性的少数者は死ねって言われてると受け取ればいいのかな?
死にたくない。大切な人たちがいる。愛するパートナー。娘。家族。友達。好きなもの、こと。美味しい食べ物。心地いい音楽、癒される匂い。素晴らしい景色。誇りに思っている仕事。全て、私の人生にあり、私の人生は誰に否定されるものでもない。
ただ、愛しているパートナーは女性。私自身も女性。それの、何がだめで税金を使うべきではないと言うの?どの異性愛者が偉くて、話し合いが必要だと思うの?税金を納めているのはね、異性愛者も同性愛者もトランスジェンダーもそれ以外の人も大人はみんな一緒だよ。もはや説明するのもダルいけど。
なぜあなた達に「思いやりや気配りの延長として法整備が必要」と、上から目線で差別禁止法やパートナーシップ制度や同性婚について『認められ』なくてはならないの?
「私たちには、命を育む力がある」。他のレズビアンの方のブログを読んだり、愛娘である犬の世話をしたり、仕事で子どもを愛し守りながら、そうやって必死に自分に言い聞かせている。パートナーと一緒に暮らし始めて、「もしも私たちに養子の子どもがいたら」と話す機会も増えた。実際に子育てをしている同性カップルもいる。
やっぱり、幸せになるために死ねない。負けちゃダメだ。一緒に頑張ろう。私たちは消されない。私たちはここにいる。明日も仕事、人生、頑張ろう。生きようね。