熱帯夜

男も女も犬も子どももいる世界で過ごす、私、miraの物語。

推しの結婚や恋愛についてレズビアンの私が考察してみた

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最近、推しの一人が自身の結婚観をブログに書いた。……困った。モヤったのよ。突然、ものすごく。でも改めて考えると今までもこういう感情に何度か遭遇していて初めてじゃない。なんだろう、これ。夢女子の嫉妬かな?と思っていたけど、どうやらちょっと違うようなので、ブログに書いて頭の中の思考を整理してみる。

 

まず、そもそも私はレズビアンだ。女として女を好きになる。推しを彼氏にしたい、とか旦那にしたい、とかいう感情は無いのだ。ただ愛でたい。頑張っているのを応援したい。推しの演技に、推しの造り出す空間にただ感動していたい。なのになぜモヤる?

 

モヤモヤの正体

 

モヤモヤする感情を、もう少し掘り下げて観察してみた。そうすると自分の中に「あんなにかっこいいのに、なぜ異性を好きになるの?」「もったいない」「がっかりだ」という気持ちがあることに気付く。

 

えっ、これ、普段自分が言われたくないこと、思われたくないこと、嫌悪を感じることと全く同じじゃないか、と愕然とした。自分も無意識に同性愛を押しつけているじゃないか。びっくりした。でも、同時にこうしてびっくりして反省する人は、多数派の異性愛者の中にどのぐらいいるんだろう……と考えては、なんだか反省していることがバカらしくもなった。

 

普段、異性愛者に囲まれた暮らしをしているとよく耳にする言葉。何回言われたか分からない台詞「もったいないよね、男にモテそうなのに」。例えばきっと、飲み屋で好意をもって話しかけてきた男の人に自分が同性愛者だと言ってやんわりと拒否したら「レズ?何それ萎えるわ、がっかりした」と言わせてしまうんだろう。

 

人間、自分の性的指向に合わせた考え方になりがちだし、感情があるんだから自分とは違う考えに嫌悪するときもあるだろう。それを当たり前のように意識せず言葉にできる人たち、つまり異性愛者の人たちは、やっぱりこの社会で優遇されている。と卑屈に思ってしまった。

 

一方、性的少数者の考えは普段から多数派の意見に埋もれがちなので、「(本当にこんなこと思っていいのかな……)」「(声にして言っていいのかな……)」と、考えて考えてひたすら考える。対推しに、対仲良くしている人に、「いい男にモテそうなのに、もったいない」「男に(を)抱かれて(抱いて)ればいいのに。がっかり」などという発言はなかなか簡単にはできない。

 

同性愛者の自分が考えを言葉にしたり文章にしたりするときのなんだか言い様のない肩身の狭さ。多分これこそが、推しの結婚やら恋愛について考えるときのモヤモヤの根本なのだ。

 

SNSの中のモヤッと

 

SNSでもそう。ナマモノジャンルはとってもデリケートなのは分かる。でもただ単に同性愛はタブーという考えだけで鍵アカウント推奨にしている人がいたら、それは本当に嫌だなぁって思う。「本人が見たら不快に感じる」=彼らを自分と同じ異性愛者と勝手に決めつけている人の意見な気がしてならない。まぁ、比率的に多くは異性愛者なんですが。もしかしたら同性愛者もいるしれないという予測はちっともされていない気がして悲しくなる。

 

いやでも、そもそも恋愛対象が異性であれ同性であれ、自分の好きな人以外と勝手に恋愛妄想されるのは嫌だろうな、それは推しに対して失礼だろうな、と思うので、やっぱりデリケートに扱わなければ……と日々自分に言い聞かせている。中には恋愛しない人もいるだろうし。こちら側の勝手な妄想をご本人に見せてはいけない本当にだめな意味をしっかりと頭で考えてSNSを使っていきたい。

 

自分以外の立場になってみる

 

結果として分かったこと。この私がなかなか言えなかった「推しは異性にはもったいない」感情は、私がブログで再三言っている「異性愛中心主義」「異性愛普遍主義」「強制的異性愛」の社会の仕組みに上手に隠されていた。もしも世間が同性愛中心主義だったら、私は「推しは異性にはもったいない」と何も考えずに言葉にしてしまうのだろうか。推しが異性愛者か同性愛者か両性愛者か無性愛者かそれ以外かと想像することなく。多数に身を置くというのは時にとてもこわいことだ。

 

なぜ「幸せになってね」が理解できないのか

 

推しでなくても、メディアやSNSには毎日のように様々な結婚報告が飛び交ったり、熱愛報道がなされている。その中でどうしても理解できなかったものが1つ。それが結婚・熱愛報道を受けた後に「おめでとう!幸せになってね」と推しに言う、ファンの方たちの言葉である。

 

「えっ、急に結婚します言われて、切り替えて自分のことのようにお祝いできる人、頭の中どうなってんの!?モヤッとしないのかしら!」「大好きな推しの結婚をすっと受け入れて心から喜べるなんて、一体どんな天使に育てられたらできるようになるのかしら!」って思っていた。

 

思っていたのに、色々考えていると1つの考えに行き着いた。「あ……私これ、推しの相手が同性だったら、幸せになってね♡って心から思えるわ……」と。推しに幸せになってね、という人たちがどういう気持ちで言葉を発しているかなんて、所詮人様の気持ちなのでなんとも言えないのだが、少なくとも私は同性同士の結婚・恋愛だったら大いに応援するしその人と幸せに人生を歩いていってほしいと思えた。

 

つまるところ、この世の多くの人たちが結婚した推しに向けて発する「幸せになってね」は“異性愛を前提とした贈り言葉”だから理解ができなかったのだ。よく考えることで発見したモヤモヤポイント2!

 

結婚します、の裏側

 

異性と人生を共にすると宣言した推しに戸惑うんだと思う。私の場合、結婚とか恋愛自体にショックを受けているんじゃないんだ。例えば「大切なお知らせ」とかいうブログを更新した推しに、私は異性愛者でした、とはっきりと証明されることがショックなのだ。

 

しかしまぁ、このショックは同性愛中心主義的考えだから気をつけよう。性はグラデーションなんだと、それぞれ違って自分と同じ者はいないのだと。常にそう思っていないと大切な推しを推しとして守れない。

 

全て悟った上で、どう受け止めるか

 

芸能界を去ったあのイケメン俳優は、はっきりとカミングアウトはしていなかったけれど、セクシャリティな部分をクローズアップされたことが悲しかったと言っていた。それを聞いて、世の中の異性愛者の女性のファン達は微妙な気持ちに陥ったのだろうか。彼に素敵なパートナーができて幸せに人生を送れますように、と心から思った人がいることを理解できない人が多いのだろうか。彼自身がはっきりゲイだとカミングアウトした訳じゃない、と現実から逃げている人もいるのだろうか。分かる、分かるよ。あー私も逃げたい。まだ推しはノンケだと、はっきり口にはしていなかったはず。

 

去年カミングアウトした若手俳優もそう。異性愛者の女性ファンはもちろんいたと思うが、いま、どういう心境で応援し続けているのだろうか。もう推すことをやめた人もいるのだろうか。でもまぁ、あの子の場合は普段から隠せてなかったね。「今さらカミングアウトってなにを言い出すの、あなたはあなたでしょ。てかみんな知ってたよw」というファンが多くて安心したのを覚えている。

 

これまで書いたことは同性愛者全体の考えではない。レズビアンであり腐女子でありオタクである私個人の考え。他にも推しの結婚や恋愛に関していろーーーんな考えや感情がこの世にはあるのだと思う。同性愛者異性愛者関係なく、色んな人の想いをもっと知りたい。だって推しが好きという感情は、共通だと思うから。推しが大事だからこそ、ここまで深く掘り下げて考えてしまった。異性愛者だと分かった時点で必ずショックを受けてしまうことは分かりきっているけれど、それでも推しの幸せを祝福できるぐらいにでっかい人間になりたい。今日の話はここまで。読んでくださってありがとうございました。