熱帯夜

女として女に愛され愛したい

【読書感想】『同性婚 だれもが自由に結婚する権利』同性婚人権救済弁護団 編

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こんにちは、mira(@mirara_l)です。お久しぶりすぎて、すみません。またブログが書きたい欲に導かれるままやってきました。


今日は最近読んだ本の紹介です。この本だけではなく、漫画だったり歴史小説だったり文学だったり色々と読んでいるのですが、この本の内容はきちんと噛み砕いてまとめてみたくなったので、あえて記事にしてみます。

わたしは日弁連(日本弁護士連合会)に対して同性婚制度を求めている「申立人」のひとりです。「同性婚が認められないのは人権侵害である」という思いから、パートナーと人権救済申立てに加わりました。その申立てでわたしたち当事者のことを助けてくださっているのが『同性婚人権救済弁護団』の方たち。有志によるネットワークだそうです。ありがたいことですね。この方達が書かれた本ですので同性婚についてのことが全て、まるっと分かると言っても過言ではないです。しかも、わたしたちの困り事についてとても分かりやすい言葉で、丁寧に説明してくださっている。充実した内容でした。

今日はこの本の内容を自分なりにまとめてみたり、印象に残った箇所を引用させていただいて、自分の考えも少し載せながら書くこととします。

 

「私を一番最初に差別したのは、他のだれでもない私自身でした」

 

悲しいかなこれは今、現代に生きる同性愛者にとって胸が痛くなるような事実ではないでしょうか。少なくとも同性愛について、こんなに話題になることがなかった時を青春時代として過ごしたわたしには衝撃的ですが、この通りだったことを改めて感じさせられる、とある当事者の言葉でした。最初の方は、当事者から寄せられた『陳述書』の内容から、同性婚ができない状態での現在の困難・過去の苦しみなどが多く記載されています。

 

「いつから同性愛者になったの?」

 

カミングアウトをすると、しばしば聞かれるこの言葉。「生まれつきなんだよ」。目の前の人に自分を理解してもらうために、必死に言葉を考えて丁寧に説明してみようとする。それでも、なぜか胸につかえがある。その理由は、この本に書いてあったのです。

 

そもそも私たちはなぜ異性愛になるのかなど考えたことはありません。異性愛の原因は探ろうともせず当然視され、他方で同性愛だけ原因が問題視されるということ自体が、実はこの社会が、異性愛中心に作られているというバイアスを示すものかもしれません。

 

……ああ。……ああ。こんなことにも気が付かずにいた自分に気が付き、やはりとても生きづらい思いをしているんだなぁ、と。純粋に、かわいそうだなぁ、と思いました。自分で。同性愛に生まれた理由を探すことより、もう現時点で『同性愛者が一定数いる』という事実が大切で、目を向けるべきこと。しかしそれをまだ受け止めきれない、受け止める準備が全然できていない社会に、わたしたちは翻弄されているんだなぁ。

 

カップルであることを隠さなくていいという、異性カップルには当たり前なことが、同性カップルには難しいのです。異性カップルは社会から祝福されるのに、同性カップルは祝福されない、という疎外感を無意識のうちに抱いてしまうこともあるのです。

 

これも、心に刺さる文章でした。今の社会では当たり前だと諦めないといけないことが、こうしてきちんと提起され、「問題だ」「おかしいことだ」と本にまでなっている。わたしがいつも抱いていた寂しさや疎外感は、持っても誰にも責められない、現代に生きる同性愛者として当然の気持ちだったのだと、救われる思いでした。

 

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やっぱり、あるんですよね。あからさまな違いが。わたしの場合だと、姉妹や従姉妹に彼氏や旦那ができたときの両親、また親戚の反応。だったり、友達同士の「彼氏できたの!?よかったじゃん!お幸せに!」という単純明快な喜びのやり取り、応援の言葉。女性のわたしに女性のパートナーができて、同じような反応が返ってくることは、ないです。同性の恋人というだけで、パートナーに対する愛情や、幸せの度合いには何の違いもないのに。これはおかしなことだ。

 

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同性愛=同性間のセックス

 

日本では、そのような自分なりの信念や理屈に基づいた「確信的なホモフォビア」よりも、LGBTに対する無理解や知識の欠如に由来する「無自覚なホモフォビア」の方が圧倒的に多いように思います。

 

さきほどの話もこれですね。要するに、わたしたち同性愛者のライフスタイルが想像できない、ということが、日本人の「無自覚なホモフォビア(同性愛嫌悪)」につながっていると。人間誰しも、知らないものにはつい嫌悪感を示してしまうことってありますよね。「男どうし、女どうしでセックスするなんて気持ち悪い」「同性愛者から言い寄られるのは勘弁してほしい」という、(理屈抜きの)直感的な嫌悪表現が、日本社会に渦巻いています。

「(知識がなく)よく分からない」、「自分の周りには(本当はいるが、無自覚なホモフォビアに怯えてカミングアウトをしづらい状況にあるだけで)いない」という状況からくる差別の渦巻く中、わたしたちは生きています。こんな悪循環が生まれているのが、日本だそうです。

 

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日本は、地方自治体のパートナーシップ制度が始まり、少し前に進んでいるように感じますね。ちょっとずつでも進んでいるんだからいいじゃん、今は我慢しなよという声が聞こえてきそうな気がします。確かに日本には同性愛を禁じたり、死刑にしたりするような制度はありません。

それでも、さきほどの(理屈抜きの)直接的な嫌悪表現・差別発言・突然のアウティングにより、自らの命を絶つ選択をしてしまう人が、いるんです。事実です。自殺を何度も考えた、今でも考えている、人が。たくさんいるんです。だって生きづらいから。

 

仮に自分がLGBT当事者であることを理由に自死をされた方が1名でもいるのであれば、それは「LGBTであることを理由に死刑にされた」というのと、いったい何が違うのでしょうか。

 

 仲間を大事に

 

この本に教えてもらったことはたくさんあります。勇気をもらいました。「同性愛」という属性を持った人たちをグループ化して見下すことで、自分がそれらの人々よりも優位な地位にあると思い込もうとする人たちがいます。でもそれに惑わされては駄目だと教えてもらいました。それは在日外国人に対するヘイトスピーチの構造と同じだということ。

 

この人たちの根源にあるのは、自分の人生に対する不満(周囲の人からの愛情の欠乏や、社会的評価・承認の欠乏に対する不満)です。

 

自分の自尊心を維持するために、他者を攻撃する人たちは、どの年代、どの地域にも必ず一定数存在するそうです。惑わされないように。手を取り合って生きていきましょう。

 

同性婚ができないことでの困りごと

 

さてここからは、結婚・婚姻について。この本は婚姻できず配偶者になることができないということは、人々の意識にも影響を与えているはず、という前提で書かれていますので、わたしの頭にスッと入ってきました。色々な困りごとがあります。

ここで紹介する困りごとは、ほんの一例ですが、例えば…

 

パートナーの緊急時

 

  • 葬儀で親族席に座れない
  • そもそも葬儀に出席することを拒まれる
  • 病院で手術の同意などができない
  • パートナーの病態を教えてもらえない

 

書いてて悲しくなってきたわ。本当にこんなことが、と現実を突きつけられるような気持ち。一番大切な人が亡くなっても十分な別れができない可能性が1%でもあるというのは、わたしたちの生活における安心は無いに等しい。ここで書いた状態だけでなく、自分の親が死んでしまったとき、葬儀の場にいてくれないのは、とても困る。みなさんはどうですか?妻として、隣にいてほしい。逆の場合ももちろんそうです。妻として、相手を支えたい。

去年の今頃、祖父を亡くしました。当然のように親族席に座る従姉妹の旦那が憎くて。彼は何も悪くないのに。むしろ誰も悪くないからこそ、なぜわたしの隣に、ふうふ同然である、あの人がいないのだと、悲しみに似た怒りでいっぱいでした。

そんな中、嬉しいニュースも。神奈川県横須賀市の市立病院で、手術などの同意書に署名する際の指針が改正されたそうです(2016年9月1日、毎日新聞)。「社会的に内縁関係にあると判断される同性パートナーを含む」と明記されたんですって。うれしいね。こういう病院が、もっともっと増えますように。そして、全国の病院に広まって、これが当たり前になりますように。

 

扶養家族手当などの対象外である

 

通常であれば受けられるはずの課税軽減策や手当を受けられないんですね。会社や社会に対して、同僚と同等の貢献をしているのに、です。まったく理不尽なことです。

 

法定相続人でないことでの不利益

 

配偶者としての権利がありませんので、法的な手続きはもうほとんど、といっていいほどに苦しむことになると思います。遺言制度を使えばいいじゃないという簡単な問題ではなく。

 

  • 遺言の作成には厳格なルールがあり、そのルールを破ると無効となる
  • 亡くなったパートナーの相続人が遺言の内容に納得せず、遺言の有効性を争う可能性
  • 配偶者であれば受けられる相続税の優遇措置を受けられない

 

などなど。生命保険の保険金受取人が同性パートナーにも適応されることになり、やったー!と言っていたのですが、まだまだ問題は山積みなんですね。パートナーが残した保険金を受け取るのに、相続税がかかるてどういうことよ…全く理解不能だわ。

 

同性カップルの子どもについて

 

個人的に励まされた言葉たちです。

 

子どもが健全に育つかどうかは、両親の性別や血縁上の親子関係があるかどうかではなく、子どもが十分な愛情を注がれて育てられているかどうかによるのではないでしょうか。

 

自分が好きになった相手との間に子どもをもうけたいという気持ちは、同性カップルであっても異性カップルであっても変わりがないはずです。

同性愛者や両性愛者には、ただ愛するパートナーとの間で子どもをもうけることができないだけなのです。 

自分が愛する相手との間に子どもをもうけることができないことについて、同性愛者や両性愛者には何の責任もありません。

これは子どもをもうけたいと思ってももうけることができない不妊の異性カップルや性別の取扱いを変更して婚姻したカップルなどと、まったく同じなのです。

 

これを大学生の頃、自分がレズビアンだと気づいた自分に言ってくれる人やメディアがいたらなぁ…と思わずにはいられませんでした。気づいた瞬間からレズビアンである自分自身を差別せざるを得ませんでした。気づいた瞬間から、子どもを世に残せないだめな女なんだと自分の性的指向を責めました。何の役にも立たない自分の子宮を、煙草の煙で壊したくなって、依存しました。これも、一種の自殺行為ですよね。

今、禁煙に成功したのは、自分のことを大切に思ってくれる周りの人たちからの愛情に、やっと気づいたからだと思います。卑屈にならなくても、孤独にならなくても、わたしはわたしのままでも受け止めてくれる人がいると知ったからだと思います。

 

結婚について考える

 

なぜ結婚したいのか、結婚に求めるメリットや役割は、人それぞれ違うと思います。 そもそも同性婚ができるようになったとしても、あえて結婚を選ばない人もいるでしょう。

 

結婚には、さまざまな法的・経済的な利益が結びつけられることに加え、パートナー相互のきずなを強めて人間関係を安定させ、心理的満足をもたらすはたらきや、社会に二人の関係を公示して、社会から認知・承認されるというはたらきがあります。

専門家は「心理的・社会的利益」と呼んでいます。  

 

きっとわたしは、前者の「心理的利益」に重きを置いているんだと思います。中には「社会的利益」に重きを置く人もいて。でもやっぱり一緒にいることで、確かに個人同士の結びつきによって様々な利益が生まれることに間違いはないんだと思います。それを国が保障しているのだから。同性同士というだけで、婚姻から排除される理由はありません。

 

「自分たちの関係を家族として認めてほしい」

 

という切実な思いに応える意味の地方自治体によるパートナーシップ証明。当事者を含め、社会で大きな反響を呼んだ事実が、婚姻の心理的・社会的役割の大きさと、自治体の証明書が果たしうる役割を示している、と書いてありました。渋谷区や世田谷区の事例は地方自治体の取り組みであり、法的に強い拘束力を持つものではありません。なのに、なぜ評価されるのか?

 

具体的な利益の解消だけでなく、象徴的な意味において同性カップルの社会的地位の向上に資するものだから

だそうです。本当に、広まってほしいですね。そしていずれ、同性婚ができる世の中になりますように。

 

最後に

 

同性間の婚姻が認められないことが国による最大の「差別」であることに変わりはありません。

 

今回、この本の内容をまとめたことで、同性婚ができない日本の現在を鑑みると不安や心配しか残らないかもしれません。もしかすると、わたしのパートナーに対してもそんな気持ちを抱かせてしまったかもしれない。でも、わたしたちの人権は本来守られるべきなのです。問題を提示して、なぜ、どんなところで困っているのか、そして異性愛者と変わらない暮らしをしているカップルであることを世間に伝えていかないといけないのだと、また気持ちを新たにしたところです。わたしは、今のパートナーと同性婚がしたいんです。苦しむことなく、家族3人(2人+1匹)で暮らしていきたいんです。

 

同性婚 だれもが自由に結婚する権利

同性婚 だれもが自由に結婚する権利