熱帯夜

女として女に愛され愛したい

【映画感想】LGBTをテーマにした短編映画『カランコエの花』のDVDを観ました(ネタバレあり)

こんにちは、mira(@mirara_l)です。今日は先日パートナーと一緒に鑑賞した映画『カランコエの花』の感想を綴りたいと思います。

制作された頃からずっと気になってはいたのですが、DVDになってレンタルが始まるとSNSで知ったので、当日にレンタルショップを2件回ってやっと見つけました。1件目のところは、行ったらもう既にレンタルされていたの。

 

 

もう観てから随分経ってしまったのですが、この作品の感想は残しておきたくて。当事者として見ると、とてもありがちなんだけど、でも、私がもし当事者じゃなかったら……とか、ああ、当事者の周りの人たちって、こんな感情で居るんだ……というような再確認ができたような気がします。つまり、この映画のメインは当事者の心の動きではなく、周りの感情にフォーカスしたものでした。

※ ここからネタバレあり

 

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桜の季節

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私のおじいちゃんが死んだのは、ぽかぽかした空気が気持ちの良い、ちょうど今日のような桜の季節だった。天国にいく前、この世での最期の言葉に「きいろい、ちょうちょが……」と言って旅立っていったらしいことを、母から教えてもらったことを覚えている。そのあとすぐに、従姉妹のYちゃんがこの世に誕生して、小さい私はもっと小さい妹と「おじいちゃんの生まれ変わりなのかな」と真剣に話していた。

でもYちゃんではなくて、実は黄色いちょうちょがおじいちゃんだったのだと思う経験が良くある。大人になってから、それを妹に話すと「私も!私も落ち込んでるときとか、気持ちが焦っているときに、春じゃないのに黄色いちょうちょが飛んでくるときがある」と、他の人が聞いたら怖いことを教えてくれた。

私たちの味方の黄色いちょうちょ。あれはきっと、おじいちゃんなのだと思っている。今でも本気で思っている。

私が引っ越した先の自宅の近くの病院で亡くなったことを今日聞いた。いつも通るあの道にある、桜でいっぱいのあの病院で、おじいちゃんが死んだなんて。そんなの全然知らなかったこと、そして知らないのに、何の導きかこんなに近くに越してきたこと。今日もその病院を横目に見ながら車を走らせ、その事実にちょっと胸が苦しくなった。

もう一度、あのゴツゴツで汚い太い指で壊れ物に触るみたいに孫の私に触れて、膝の上に乗せて笑ってほしい。突然、おじいちゃんが恋しくなった。

毎日「行ってきます」「ただいま」と言っていた実家を出て1年になる。引っ越しを決めたのは、『他の誰でもない自分の人生を生きたい』と思ったからだけど、それでも一つ守りたかったことがある。それは桜の季節の引っ越しは避けたいということ。

おじいちゃんが病室から見ていた満開の桜。それを眺める息子。おじいちゃんの息子である私のパパは、「桜の季節が、ちょっと苦手なんだ」と目に涙を溜めながら話してくれたことがある。どうしても自分の父親が死んだあの日を思い出すからだと。

私はその話を聞いたときに「桜が満開の季節に引っ越すことだけは、絶対にやめよう」と決めた。もうパパにこんなに悲しい顔をしてほしくないから。あんなにきれいな桜を、これ以上寂しいイメージで見てほしくないから。世間でも『春は別れの季節』というけれど、彼にとっても父親と娘が満開の桜の花びらに隠されるように居なくなった別れの季節。新たな出会いも喜びも何もないままにさせてしまうのは嫌だった。

そんな季節に、妹のお腹の中には新しい命が宿っている。季節は巡る。いつか春がパパにとって幸せで涙する季節になりますように。気付けば、あの頃のおじいちゃんと一緒になってしまったゴツゴツで汚い太い指。壊れ物に触るみたいに、その指であたたかい孫の命に触れる彼の優しい笑顔が見れますように。

私は、春が好きだ。

あなたの隣にいた女、同性愛者なんだってさ

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ただいま。
飲み会から帰ってきました。
mira(@mirara_l)です。

疲れました……。
今日も聞かれる聞かれる。

「miraさんは、いい人いるの?」

年齢も年齢だから、みんなちょっと控えめに聞いてくれます。

「いませんよ」

私は微笑む。この嘘に気づいて、と顔に書きたい気持ちで微笑む。あなたの期待する答えである彼ならいませんが、彼女なら、いますよ。それもついでに顔に書きたいと願いながら、向こうが諦めてくれるように切なそうに首を横に振る。

「じゃあ、募集中?」
「……いやー。そうでもないです」

ほら、ここが1番嫌い。どうしてこの人は恋愛に興味がないんだろう、変な子。損してる。これ以上聞いちゃいけない何かがあるのかな。相手の沈黙の中にそんな気持ちが見え隠れする。私は黙って微笑んで、世間が言う『気持ち悪い同性愛者』にならないように細心の注意を払って相手の意識を自分から遠ざけようと必死になる。

お酒を飲んでいてもどこか冷静な頭が、彼らの話す「結婚のメリットは」という話題を追いかける。その場を盛り上げる若い女の子。自分の過去の恋愛の失敗や、これからの期待について、みんなの意見を拾いながら技と言ってもいい流れで一気に場を華やかにする。

この子と恋愛話ができたら、どんなに楽しいだろう。私は家に帰ると何もできないタイプで、奥さんは結構ヤキモチ妬きなところがあってかわいいこと。結婚は私はしてよかったと思っていること。子どもを持つこと。

仕事の仲間と人生の話をするときに、セクシャリティは必ずついてまわる。セクシャリティを隠したままでは本当の自分でいられなくて、そんなときは決まって居心地が悪そうに壁に貼ってあるメニューを眺めることしかできなくなる。

世間の多くの人たちは、無邪気に恋愛の話ができていいなぁ、と思う。自分の愛する人の話を気軽にできて羨ましい。でも1度羨ましいと思ってしまうと、それはそのうち社会への恨みになり、自分がわがままでどうしようもない女に思えてくるからお酒を飲んで、適当に笑って、早く終わって家に帰る瞬間のことを想像してやり過ごす。

帰りの電車の中はそんなことしか考えられなくて、仄暗くて最低だよ。死にたくなるよ。地方で公務員として働くというのは本当になんというか、そういうこと。私自身がそれ。

でもね、駅のホームをぐったりしながら歩いていった先の明るい改札の向こうに、パートナーと娘🐶の姿を見つけたとき、泣きたくなる気持ちを堪える強さが残っていることに気付くんだよ。ああ、私はここに帰ってくるために、今日もそれらをやり過ごしたんだって。この世の中で同性愛者として過ごすことは、生きるか、死ぬか。

あなたの隣で微笑んでいるその人が同性愛者だということは、こうして社会から隠されているんだよ。私だけではないよ。今までも、こうして生きるか死ぬかを選択してきた、たくさんの人たち。私が隠しているようにまた、私の隣にいるかもしれない同性愛者とも簡単には繋がれない。まったく孤独な世界だよ。