熱帯夜

女として女に愛され愛したい

【読書感想】『ヤモリ、カエル、シジミチョウ』江國 香織 著

感想文は、いますぐに

 

私の場合、感想文って本でも映像でも舞台でもイベントでも、何においても間をあけることなく、すぐに書かないとだめなんです。そうしないと、心から楽しんだ後の高揚感を文章にすることができなくなってしまう。すぐでないと自分の中で感じた衝撃や感動を静かに咀嚼して飲み込んでしまうから。1度飲み込んでしまったものは、もう取り出せないんです。きっとそういう内向的な作業が好きなんだと思います。

 

だからブログに書く、というのはとても難易度が高い。のに、なぜするんだろう……と考えると、おそらく自分の作った文章に反応してもらえるのが好きだから。その反応の仕方が一人ひとり違うことがおもしろい。自分のブログへの反応に病みつきになっているのです。

 

今日が土曜日で良かった。土曜日に本を読み終えると、しっかりと文章にする時間があって幸せです。しかも今回は分厚いハードカバーの長編小説だったから。

 

江國香織という人が書く文章について

 

たくさんたくさん思いが溢れました。あるページでは子どもの頃の自分の視線になったようなあたたかい児童文学を読んでいるのに、ページをめくって視点が変わると紛れもない恋愛小説で。オカルトのように感じる怖い部分も、相変わらずきれいな言葉で埋め尽くしてあって、<読まない>という選択をさせてもらえない。でも読み進めると、不思議とそれほど怖くなくなってくるの。だってどの子も、どの人もかつての私であり、これからの私であるように感じるから。最高の江國香織ワールドでした。

 

江國香織さんが書く文章の何が好きかって、子どもの頃の思考や世界の見え方の描写がとても細かいこと。幼い頃に言葉にせずともきっと感じていただろうことがそのまま文章になっていて、読んでいて本当に心地いいんです。そしてかつての自分を思い出せるのが嬉しい。幼稚園児だったり小学生だった頃の自分が。100円玉を握りしめて行った、駄菓子屋さんの懐かしい香りを思い出す、そんな切ない気持ちになるのがいい。

 

確かに私の人生だったあの頃の記憶

 

この本がきっかけで詳しく思い出したのは例えば、小学校でのプールの授業中のこと。水から上がってプールサイドで目が痛くなるようほど強い直射日光を浴びているはずなのに、なぜか水の中より寒くて鳥肌が立っている自分の腕を見つめていたこと。濡れた肩に鼻を近付けて嗅いでみるとプール独特の塩素のにおいがしてそれが病みつきになっていつまでもしていたこと。その肩には産毛が生えていたな、とか、女子のおへその辺り、水を吸い込んだ水着がくぼんで張り付いているのを見るのが好きだったな、とか。

 

江國さんの作品は、そんな子ども時代の視線を思い出せる作品が多い気がします。それ以上に逃げ隠れできない大人の恋愛ストーリーの方が印象的だし、数も多いのが実際ですが。

 

この本を読んで思った最大の事実は、世の中には本を読まないと帰れない世界があるのだということ。きっと誰より子どものときの感覚を忘れられずに大人になってしまったのに、帰る場所が無くて彷徨う子どもの頃の私が、確かにどこかで生きている。

 

静かに余韻を楽しむ幸福


成人した拓人と育美の話も読んでみたいなぁ。生き物や植物と会話ができた小さい拓ちゃんは、どんな大人になったんだろう。弟想いでしっかり者の育ちゃんは、かつて「言葉の重さが全然わかっていない」と呆れて見ていた大人たちとは違う、自分が納得できる大人になったのかな?

 

子どもである彼らの周りに存在していたあの大人たちの人生は、それからどうなっていったんだろう。子ども中心にして読み進めれば、本当に大人の人生なんて取るに足りない、もう終わったことなんだとさえ思える1冊でした。

 

きらきら、そよそよ、わくわく、しくしく、たくさんの、色や音。今となってはうらやましく思うそれらが大人にも分かる文章で丁寧に書かれている。淡い余韻が残る物語でした。

 

ヤモリ、カエル、シジミチョウ

ヤモリ、カエル、シジミチョウ

 

 

 

いまさらですが馴れ初めを書きました

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私はレズビアンで、同性のパートナーがいます。パートナーは4つ年下。献身的でしっかり者の可愛い子です。色々な事情(それが「私たちの個人的な事情」である場合も、「同性愛者を見ないフリをしている社会の事情」である場合もありますが……)があり、まだ遠距離恋愛中です。なんと出会って、もう9年が経ちます。このブログでも何度も言っているように、もし私たちが異性カップルだったら既に結婚をしていてもおかしくない関係です。

 

カップルにあるはずのアレがない!

 

残念なことに私たちには付き合った記念日がありません。私はレズビアンですが、パートナーは出会った当初、自分自身の性指向をノンケ、いわゆる異性愛者だと自認していました。それを知っていながらも、趣味のやりとりで出会った彼女に惹かれていきました。私から告白しましたが、当然本気として受け取ってもらえず。あの子の性格上だんだんと、それこそかたつむり並にゆっくりと心を開いてくれたため、「付き合ってください」「はい♡」という、いわゆる付き合った記念日がないわけです。当時かろうじてパートナーからもらえた「はい」は、(どうせメール上の関係だし……切ろうと思えば切れるし……)ぐらいの程度だったはずです。

 

先ほど思い出話をしていたパートナーの言葉を借りるならば、今でこそ普通になったものの少し前まで「ネットで出会った」という事実は世間一般のイメージとして印象のいいものではなかったんですよ。そんな時代でしたし、慎重派なパートナーからしたらそんな文字のやりとりだけで全てを信じられるはずがないですよね。

 

大学生の頃の私

 

当時、付き合っていた彼女がいました。続けて2人。1人は4年ぐらい?もう1人はたったの1ヶ月でしたが。その女の人たちと一緒に過ごしている間、パートナーはずっと私の心の拠り所として存在し、常に(本当に朝から晩まで)メールでやりとりをしていました。そのときはまだ、同じ趣味を持つ仲間・友達として好意を抱いていました。そしてその好意と紙一重のところで依存をしていました。今でも一緒に続けている大切な趣味によって生かされていました。これは過言ではなく。あの子からの連絡があるから、毎日生きようとさえ思っていた。本気で。

 

せっかく自分がレズビアンであることに気が付いたのに、大学時代の友達がそれしか話題がないかのように必死に話している男女の恋バナをニコニコと聞いていないといけない。「ねね、私、初めて彼女ができたんだよ!」……だなんてとても言えるはずがない。今みたいにLGBTなんて言葉は日本に存在せず、『レズ・ホモ・キモい♡』の世界。笑顔の裏に本当の気持ちを隠した、苦しい大学生活を過ごしてきたのでした。

 

社会人になりたての私

 

大学生活が終わり、社会人になって働き始めたときにパートナーと本音で話す機会がやってきて。私の仕事に対する想いとかレズビアンとして働く上での難しさとかをひとつひとつ丁寧に聞いてくれて励ましてくれました。もうその頃には恋愛対象として好きになっていました。もちろんレズビアンだと知った上で接してくれていて、好きになってしまった気持ちを相手が迷惑に思うかもなんて考えず、私と付き合ったらきっとこの子も私もお互いが幸せになる!と謎な自信を持ったままストレートに好意を伝え続けていました(その自信は今でもなお続いています)。

 

その頃、2人目の彼女とは終わりを迎えていたため、必死のアプローチの上、実際に会ってもらえることになりました。あのときの気持ちは今でも鮮明に覚えています。あまり緊張しなくて、駅のホームで初めて会えたときにはただ嬉しくて嬉しくて堪らなかった。自然と笑顔が溢れて、楽しくて、好きで、くっつきたくて、はしゃいでいました。がっついた行動をし、覚悟も準備もできていないパートナー泣かせたことも……。その節は申し訳ありませんでした!

 

そしてその頃は何も知らないこの子をリードしなきゃ!と無理をしていたこと、でも実は私はがっつかれるのも好きだし甘えることもだーい好きであることを今の歳になって知りました。過去の私に教えてあげたいな。そんなに焦らなくてもいいよ、と。

 

かつては恋愛要素のある話をしているわけではなかったのに、なぜ当時付き合っていた彼女たちよりも支えになっていたのでしょう。あのとき海外へ行くことになっても離れられずになお、やりとりを続けたかったのはなぜでしょう。

今だから分かります。この人が、将来私のお嫁さんになるべき人だったから。精神的に繋がっていないといけない人だったのです。9年前の秋に、勇気を振り絞ってあなたにメールを送って本当によかった。過去の自分に感謝したいわ。……ってこれ、出会って10年記念日に書くべき内容な気がしてきた!(笑)

 

今の私

 

私たちのなれそめは、こんな感じ。もっと掘り下げて書きたいんだけど、もう眠いの。普段けんかもたくさんしてしまうし、そのときには意地になってしまう私だけど、あなたのことが今も過去もだいすきなんです。独り占めしたいです。

 

honeyちゃんへ。けんかしたときには、この記事を読むんだぞ♡

 

さてさて、色々な同性カップルさんのブログを回っていると、こんな話もたまには書きたくなるものです。今後も気まぐれに書いていきますのでよろしくお付き合いくださいませ。本の感想とか、演劇の感想とか、もっとペース上げて書いていけるといいなぁ。今回はこれにて。

世の中にはいろんなお仕事があるよね

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今日は普段とは違う場所でブログを書いています。実はいま、お仕事で某テーマパークに来ているんです。最近購入したポメラのお陰で文章が好きなところで書ける。楽しい。ちょっと肌寒くなってきたけど、外で春の風に吹かれてのんびりしています。

 

いざというときに動けるように~と意気込んできたはいいものの、幸いなことに全く連絡が入らず。自由に動かせてもらっています。仕事が終わったhoneyに連絡をして、電話を繋ぎながらキーボードを打つ時間。幸せだわ。

 

わたしの本当の夢

 

夢はこんな風に好きなところで好きな文章を書くこと。わたしは本当はひとりが好きなのに、自分の力の中でわりと長けているコミュニケーション力を活かした職業についてしまった。いまの職業に就いていなかったら、何になっていたんだろう。

 

こうして書くことでお金を稼げたらどれだけ素敵だろうって思うし、図書館でも働いてみたかった。本屋さんにもなりたかったな。結局は、色んなものを読んだり書いたり、大好きな文字や言葉に依存していたいんだと思う。甘えた考えかもしれないけれど、好きなものを仕事にしたいと考えるのは普通のことでしょ?

 

二人の幸せな未来

 

だからhoneyがイラストを描いて生計を立てるような未来も想像してしまう。二人の仕事場が家の中とか幸せだよなぁ。今からもうお願いしてあるんだ~。いつか一緒に住んで生計が落ち着いたら、家の中に静かで落ち着く書斎が欲しいの。こじんまりとしていてもいい。きっと本が多くなるだろうからわたし専用でもいいんだけれど、それ以外にお互い漫画もたくさん読むし本棚を一緒にして。同じ書斎で机が別か、もしくは仕切りをして、そこに入ったら文字とイラストに一気に集中できる環境がいいなぁ。

 

こういう話はいくらでもしていられるな。夢を思い描くのは、楽しい。できればちゃんと文学部とかに進んでみたかったけど、現実を考えて今の職業に繋がる学部に進んでしまい今こうしてここにいる。今の職業も嫌いじゃないんだけど(むしろ好きでちょっと誇らしくもあるぐらいなんだけど)、少しでもさっきの本当の夢に近付くために、今は文章の書き方を細々と勉強しています。ああ、試験勉強があるのに……現実逃避みたいに思えるけど、でもわたしは本気です。どちらも大事。

 

わたしの人生は一回しかないって最近よく考えるんだ。何がよくて、何が悪いのか、なんて死ぬときに自分に聞いてみないと分からない。それまではよく考えて考えて自分の心に素直になって進んでいくしかないと思うの。今できることを後悔なくしっかりとやりたい。口だけにならないように頑張る。

 

だからhoneyもたくさん絵を描いて。honeyの絵が大好きだよ。二人の幸せな未来を思い描きながら一緒に生きていこうね。……なんでわたしがブログを書くと最後はラブレターみたいになるんだろうね?(笑)さ、そろそろ仕事に戻ります。またね。